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慌てん坊のサンタさん

慌てん坊のサンタさん
 

いま俺は、とてつもななく急いでる。
俗に言うホワイトクリスマスでも俺の走る早さに雪は近くに寄って来ては風で流されてゆくばかり。体力に自信はあるが、息を切らすのは仕方無ぇ。もう随分と男女が犇めく街中を駆け抜けていた。

 

そんな俺の格好は真っ赤なズボンに同じ色をしたコート。ファスナー部分やフードの縁には真っ白なファーのオマケ付だ。この時季にゃ見掛けない事はまず無いと言う子供に絶大な支持を誇るジィさんと同じモノ。ただ唯一雰囲気の欠片も無ぇのが大きな白い袋を抱えてンじゃなくて、手にしているのは少し形が拠れた普通の学生鞄ってトコか…。それに白い髭も走るのに煩わしくて取っちまった。勿論、トナカイなんざ連れちゃいない。そんなモノが居たら俺がこうして走る必要も無ねぇ訳だが。

こんな日にこんな格好をした男が走ってるったァ、そりゃ誰もが一度は振り向くだろう。しかしそんな視線など気にしてられねぇ。いま俺はとにかく、猛烈に急いでるって事だ。向かう場所は勿論、愛しい相馬が待つ俺の部屋。全寮制の学校とは何とも都合の良いモノで相部屋のイイ仲な俺達は実質上の同棲生活を謳歌中。それに、実家に里帰りする気のさらさらない俺にとっちゃ長期の休みにもなりゃ都内でバイトし放題だ。今日はそのバイトが思うより長引いて帰りが遅れちまったンだが。メールする時間さえも惜しくて連絡して無いけど、相馬の事だから怒ってはいないはず。アイツなら絶対に分かってる!

 

この世間が浮足立つ聖夜と言う日の為に金貯めようって思っていたのが肝心なこの日もシフト入っちまって。正に本末転倒。まぁ…年末で短期のバイトっつったらクリスマスも何も無ぇけどよ。それにケーキ屋の呼び込みだ。掻き入れ時のピンチヒッターってヤツ。だからこんなの着てンだけどな。これでも、昨日のイブを我慢したから、クリスマスの今日は解放されて早い方だ。

学生の特権をフル活用してでも俺がバイトに熱意を注ぐ理由は只一つ。貯めた金でプレゼントを買うためだ。って、そんなこと言ったら、相馬の奴…苦笑いして『何もいらない』の一点張り。普段から俺がバイトして学費払って堅実に貯金してンの知ってるし、この日の為に掛け持ちしてンのも気にしていた。掛け持ちは今日までの事で、プレゼントの為だったが。貯金の理由ってのは話が別。俺の薔薇色の未来予想図の為の投資だ。何を隠そう、卒業したら相馬にプロポーズしてやる予定(笑)アイツが大学行ってる間に、俺は土木作業でもやって養ってやンだ。体力だけには自信ある!

しかしそれが、今からクリスマスで気を使わせちまって…俺ってそんなに頼り無ぇのか?何て考えるのは後だっ、後!!今は取り敢えず走れ…俺っ!!!

 

 

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ここ一週間前からか野村の帰りが尚更のこと遅くなったのは…。
普段通りのバイトをしつつ冬休みの間に掛け持ちを始めた所為だが。放課後だけの仕事だったのを今となっては掛け持ちのバイトを土日や昼間に行っているから部屋に居ない。そして極端に、部屋に居る時は寝ている事が多くなった。しかし、それで冬休み中のレポートやらは大丈夫なのか?またアイツの事だから土壇場で騒ぎ始めるのは目に見えて明らかだけど。

それはそうと、一応、季節らしくケーキなんて物を用意しておいた。
疲れた時には甘い物と言うし。実はこのケーキは野村のバイト先で買ったヤツだ。第一発見者は安富と大野だった。掛け持ちしているのは事前に聞いていたが、何の仕事だとか…何処で働いているとか…あまり聞かない事にしている。その理由は単純に、気になるからだ。野村も気恥ずかしいのか自ら言わないし、俺が聞かないから話もしない。それでも、疲れ果てて死んだように眠っている時は、やっぱり心配してしまうが。他人に弱音を吐く事や音を挙げる事を嫌う奴だから、俺は敢えて何もしないでやってる。ただ、この部屋で出迎えてやるだけでアイツは素直に喜んでいるから。それで俺も少しは救われる。俺なんかの顔を見て、心底、楽しそうにしている奴だから。


そして、そんな疲れ果てる程にバイト漬けな日々は俺の為なんだろ。唐突に『欲しい物あるか?』なんて聞いてきたから、必要無いと言ったのに…。アイツの時間や財布の中身を気にして言ったんじゃない。勿論それもあるだろうが、俺は本当に何もいらないんだ。
その気持ちだけで良い、と言うか、アイツが居れば良い………なんて、絶っ対に野村には言わないけどっ!!
つーか、気付けよバカ野郎…。世間体の行事に拘りが特にあるって訳でも無く、況してや平気で昼間の街中を普通の男女のように歩ける訳でも無いのだから、俺としては、この空間に居る事だけで充分な気がする。

せっかくのケーキが野村の帰りが思ったより遅くて少し柔らかくなってしまった。仕方無い…。一旦、冷蔵庫に入れとこう。備え付けの小さなヤツは1ホールのケーキだけで一杯になるんだが、中身は物もあまり入ってなくて良かったな。

 

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冬休みと言えど、俺みたいな奴がいるから寮は開放されていて。
幾つかの部屋にも灯りはある。門の場所から俺達の部屋は見えねぇけど勿論アイツは待ってくれてるし。漸く着いたンだと、一度だけ深呼吸して息を整えた。

 

雪が降ってンのに、俺は走ったせいで汗だくだ。これじゃ相馬に笑われちまうかな…。それとも、また風邪牽くとか何とか説教されるか。まぁ良いや…早く帰って顔を見たい。結局、クリスマスプレゼントなんて代名詞を付けて渡せる物は検討もつかなかった。ただ、その代わりと言っちゃなんだが、こんな格好のまま帰って来たンだし。いや…着替える時間も勿体無っただけだが、即席サプライズってやつよ!

……そうだ!!俺めちゃくちゃ良い事を思い着いたゼ!

やっぱコレ着てンだから只帰るのも詰まらねぇよな。どうせなら驚かせてやっか、アイツの笑う顔が見たい。今日はなんたってクリスマス!

俺は寮の中へ入ると俺達の部屋がある階より、一つ下の階でエレベーターを降りた。そんで、目指す場所は俺達の真下の部屋だ

「勘吾ぉ~中島ぁ~、居るだろ?」

「野村?」

顔を出したのは蟻通だった。よく屯むコイツらが真下で良かった。
つーかコイツら女居たりしねぇンだな。この日に合コンも無くやっぱ部屋に居るなんざ寂しい奴らだゼ。まぁ、俺には相馬が居るから関係ねーし。居てくれて助かったけどよ。

「どうした?」

「ちょっとベランダ貸してくれ」

「は?」

勘吾が首を傾げている間に脱いだ靴を持って上がり込むと、中では中島が缶ビール片手に寛いでた。今更、酒がどうとか俺も言えねぇけど、オッサン臭ぇなまったく…。そんな缶ビール片手の中島が入った途端に俺を目敏そうに見る。

「お前ナニそのカッコ」

「バイトの制服」

「なんだよサンタさん、プレゼントくれたりしねぇの?」

「生憎だが、お前ぇらの分は無ぇよ」

ガラッと窓を開けて上を見上げると、案の定カーテンの隙間から光が漏れていた。成績優秀かつ生徒会役員である相馬は、行事やテストなどよっぽどの事が無い限り俺の帰りは待っていてくれる。


それほど広いベランダで無けりゃマンションと言うには烏滸がましい造りをしてるが、エレベーターが完備されている程だ粗末な佇まいでは無い。柵に手を掛けてよじ登れば何とか行けそうだな…

「寒ィよ。勘吾、早く閉めちまえ」

「あ、うん。野村、大丈夫?相馬に怒られるぞ」

「へーきへーき。じゃあな!」

靴を上に放り込むと上手くベランダに入り。俺は鞄の肩紐を掛けて背中に背負うと、上のベランダの柵に手を掛けた 。

 

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ドサッ!と外からの音が静かだった部屋に響いた。

本から顔を一度上げ、しっかり閉じられたカーテンの方へ眼を向ける。雪が屋根から落ちたのか?然程、気にする事でも無く視線を活字へ戻す。

フと卓上の時計を見ると、夜の10時を少し過ぎていた。もうそんな時間か…アイツの夜食でも用意してやるかな。流石にそろそろ帰って来るだろうし…。ケーキは明日でも良いか。本に栞を挟んで、少し背伸びをする。その時また、ドンッ!と外から音がした。

玄関の方か?…いや、やっぱりベランダの方だった気がする。雪…降り積もっているのかもしれないが、アイツ大丈夫なのか?外に出る仕事で雪に降られちゃ大変だよな…。そん事が頭に過ったから、どれ程の雪か気になってしまった。

そして徐にカーテンを引き。ベランダを覗いた場所には―………

「…え?」

『メリ―………』

ザッ!!っと思わずカーテンを引き戻してしまった。

 

なんだよアレっ!確実に何か居たぞっ!?俺の見間違いでなければ赤い服を着た男が居た。上も下も真っ赤な服だ。よくこの季節に頻繁に見掛けるあの白い髭を蓄えた立派な御老人が着ているのと同様の…。しかし、一瞬だけ目が合ったのは物凄く野村に似ていた。っと言うか、アレって野村?…やっぱり野村だろ??野村しか居ないだろうし…って言うか、何か言い掛けていた気がする―…

ゴンゴンゴン…

うわっ!外から窓ガラスを叩かれ、俺は意を決して再びカーテンを左右に拡げた

『メリークリスマス!』

両腕を左右に大きく拡げ声高良かに御約束のセリフを叫んでいるのは、やはり野村だった。だが、その格好はやっぱり全身を真っ赤に染めていて。何でかベランダに立ってる。たしか…此所って6階だったよな―…

 

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「バカ野郎っっ!!」

窓を開けた瞬間、相馬の第一声がそれだった。しかも拳でポカリと頭を小突かれる。

「お、おお前っ…どうやって―…」

「下のベランダから登って来たンだよ。驚いたか?」

「落ちたら死んでるぞ!玄関から入って来いっ!!少しは高さと常識を考えろっ!!」

ちとやり過ぎたか?顔色を変えてまで怒鳴られちまった。つーか、何を怒ってンだ?

「遅くなって悪かったな。着替えるより先に帰りたくてよー。せっかくだから、驚かせようと思って―…」

「危ないマネすんな!」

頭を掻いてる時だ、とんっと不意に相馬が胸板へ押し当たって来て、僅かに後ろへよろめいた。

「っとに…バカ野郎。焦せるだろ―…」

「あ―…すまん。喜ぶかと思って、それしか考えて無かった」

泣いてンのかと思っちまうような消え入りそうな声を出されて、俺の方が肝を冷やす。そんで、もう一度、謝りながら相馬をギュッてキツく抱いたら凄ぇ暖かい。漸く本当に帰って来た実感がした。

「それより疲れたンだぞ~!途中で雪まで降って来るしよぉ~」

この際だから、めちゃくちゃ甘えてやる!抱き込む相馬の頭へグリグリ頬擦りすると、ぐいっと引き離されちまった。あぁ俺の癒しがっ!!

「バカに食わせる飯は無い。その代わり、ケーキはあるけどな…」

「マジで?食う!!」

相馬が中へ戻るのを靴を持って後に続く。その靴をしまい。鞄を放り投げてテーブルに付くと、直ぐに相馬がケーキを1ホール出して来た……って

「コレ店のじゃね?」

見たことある形だ。ってか、さっきまで嫌と言う程に見続けていた箱と中身じゃねぇかよ

「相馬、店に来たのか?」

「お前はちょうど居なかったけどな、安富から見掛けたって聞いたんだ」

全然、知らなかった。居なかったって事は休憩中か、店先以外の場所で呼び込みしてた時か?言ってくれれば持って来てやったのに…なんて、呼び込みしてンの教えてねぇンだったな 。

 

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6階のベランダから入って来るなんて、そして俺が喜ぶかと思ったなんて…心配してる方の身も考えてくれ。

さっきは取り乱したが、コイツが食べ物さえ与えてれば納得する馬鹿で単純なヤツで良かった。ケーキを目の前に子供のような顔をするのを見てれば早くも怒る気は失せた。1ホールの丸々ケーキに直接フォークを刺して頬張る野村の前へコーヒーを置き、真横に腰を降ろす。よほど腹が減ってたのか?俺は一切れで十分だが、後は全て平らげてくれそうな勢いだ。

「脱がないのか?バイトの制服だろソレ、洗濯してやるから」

「まぁ待て」

フォークを置いた野村は満面の笑みを浮かべる

「サンタさんから、プレゼントやるよ」

「要らないって言った―…」

言い終わらない最中に突然、グイッと腕を引かれ。俺は野村の胸板に押し当たった。おもいっきり体当たりしてしまったが、野村は魚籠ともせず俺を抱えていて。顔には相変わらずの笑み

「お前へ俺をプレゼントする!」

「……………は?」

何を言い出すんだコイツは…。思わず唖然としたまま見詰めていたら、キツく腕が締まり。子供のように肩口に顔を預けられた

「プレゼント要らねぇっつーから、どうしようか考えたンだぞ」

「その答えがコレか」

「俺が欲しくねぇの?」

「そうだな―…」

返事を濁すと、顔を上げて目線を合わせた野村は、拗ねたように頬を膨らませる。

「最近、忙し過ぎて放ったらかしだったから。寂しかったンじゃね?」

「それはお前の方じゃないのか?」

つい吹き出してしまうと、更に野村の唇が尖った

「そーだよ、寂しかったから言ってンだろ」

「開き直りか」

「煩ぇ。お前だって店に来たり、気にしてくれたンじゃねぇのかよ」

少し真剣な顔。全くその通りなんだが…生憎、俺はコイツのようにそれを口にするつもりは無い。わざわざ言葉にするまでも無く、いつもこうして屈折しているような俺の感情も有りの儘、ただコイツは受け入れてくれてるようだから 。

 

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「それじゃ、プレゼント貰おうかな。くれるんだろ?サンタさん」

不意討ちで口端に着いていたクリームが相馬の指先で拭われた。
しかも、ソレを口に食わえる仕草とか。ちょ、お前そりゃアレだ!
言い出したの俺だけど、そう直球に挑発されるとなれば一溜まりもない。相馬も男だ。こんな時たまに、相馬の方がノリ気でまんまと圧される事がある俺。こんなクサイ台詞、普通に受け入れられるとは思わなかったが。俺の作戦は成功したらしい

「スマン相馬、我慢出来ねぇ…」

「お前が我慢した事なんてあったかよ」

クスクス笑いやがって。オレ若いから仕方ねぇーじゃん!お前のお陰で、このサンタ衣装の下はプレゼントやる準備万端だっつーの!!

「でも先にケーキ食べろって。少し溶けてるし」

「それより早くプレゼントだ!」

「わっ、野村ッ―…」

持ち上げた相馬の身体をベットへ置き、すかさず俺も上にあがった

「飯は?」

「そんなの後でいい」

「脱げよ。その衣装バイトの制服なんだし、汚したら困るぞ。着替えてから…」

「構うな、洗濯してくれンだろ?サンタってのも面白ぇじゃねぇか」

なんたって今日はクリスマスだぞ!そんな日じゃなくても、相馬は俺の傍に居てくれてっけどよ。俺が忙しい間、夜は寝ないで待ってたり。夜食まで用意して面倒みてくれてンのに、俺は直ぐに寝ちまったりして…。一緒に居ても2週間くらいお預けくらってたし。俺もそれどころじゃなかった。だからそのぶん今日は許されるよな…?相馬をまた胸に抱き寄せ、その最高に落ち着く匂いを一杯に吸い込んだ

「構ってやる暇も無くて、ごめん。そンで、いつもありがとな」

改まって言うのも気恥ずかしいから、抱き寄せたのは顔を見られないように。すると胸板に埋まる相馬から強いくらいの力で抱き返された。

「疲れてんだから気にしてないけど…あまり無茶するな」

「仕方無ぇじゃん、お前のためなんだから」

「それでお前が苦労すんのは嫌だ。見てる方の身にもなれ、バカ」

こうして、きっと来年も俺は相馬の傍に居て。きっと同じように怒られたりすンのかもしれない。

「早くしねぇと、日付変わってクリスマス終わっちまう」

「終わっても帰るなよサンタさん」

「初詣、一緒に行こうな」

無言で頷いた相馬の僅かに見える頬や耳は、このサンタの衣装と同じくらいに真っ赤だった。

本年も沢山の愛情を

本年も沢山の愛情を

新年の幕開けはなんとか無事2人で一緒に寮の部屋で迎えることができた。
年末年始は、忘年会、スーパー等で大売り出しから始まり。お年玉を握り締めておもちゃ屋に駆け込む子供。福袋を求めて並ぶ大人。その後、お節に飽きてファミレスへ。それこそバーゲンセールかと言う各種様々に人が外へ出る時期は、多種多様な所でバイトをしている野村を、相馬のもとへ置いといてくれない。いや、バイトは好き好んでしている事だけども。大晦日ギリ帰宅が間に合ったほどにシフトを入れてしまったのは、流石にキツかった。急いで年越蕎麦を食べさせてもらっていたら、あっという間に日付と年が変わっていた。


「あぁー、しんどい…」

腰を下ろしたベンチに背を預け、本日も朝早くから先程までびっしり使い果たした身体を少し休める。

「相馬は…まだ来てねぇか…」

水色の空を仰いで浮かぶ白い雲に溶かすよう野村は大きく息を吐いた。打ち合わせ通りにバイトが終わり次第に即行でメールを入れておいたが、待ち人の姿はまだ見えない。初詣に行こうと野村が相馬を誘ったのは、記憶が間違っていなければ確か元旦のことだった。面倒だのなんだのと言いながらも、相馬は行かないとは言わなかった。本を読んでいた横顔に嬉しそうな色が滲んでいたのを野村は見逃していない。けれどその日は2人で出掛けることは出来なかった。ちなみに今日は、3日だ。今の今まで野村が忙しかったのは言うまでもない。

「ちくしょお…冷てぇ風だな!」

朝早くに部屋を出てたが、ぜったい午後には行けるからと、そこそこ有名なこの神社で待ち合わせをした。途切れる事なく人の波が続いている。中には晴れ着を纏った女性も見えるが、相変わらず相馬の姿はない。寒い。心も体も寒い。日の当たるベンチだとしても吹き抜けていく風は冬のものだ。暖かいはずはない。手袋を忘れた両手に吐いた息を当てれば目の前がうっすらと白んで見えた。

「はぁ~…さみぃ!」
「はぁ~…寒い!」

思わず叫んだ言葉が自分以外の声と見事に重なって、野村は弾かれたようにそちらを向いた。今まで気付かなかった、同じベンチで少し距離を空けたところに男性が座っている。同じく驚きに目を丸くした小柄な男性は、野村をじっと見つめた。同じように手袋のない両手を口元で止めた姿は、まるで小動物のようだと思わされたほど、どこか可愛らしい。姿形こそ違えど鏡を見ているようだ。見ず知らずの人とここまでシンクロすることはそうそうない。つい吹き出したのも、まさに同じようなタイミングだった。


「ははっ…ホント、寒いよねぇ」

「まったく。待ち合わせっすか?」

「うん。来るかどうかわからないけど、一応ね。君も、かな」

「あー…まぁ、はい」

ふわりと笑った男性につられて野村も顔を綻ばせる。不思議な男だと思った。初めて会ったのにまだ一言二言しか言葉を交わしていないのに野村は心を解かされている。元より愛想は良いと自分でも思うところがあるが彼も愛嬌者らしい。そのせいもあってか、待ち人は彼女かと問われ、一瞬躊躇ったけれど野村は口にした。

「ん~…恋人、です」

言葉にしたら、胸がほわっと温かくなった。誰かに言ってみたかったのだ、恋人です、と。覚えず照れが滲んでしまい、笑みを堪えようとした口許が変に歪んでいく。それを見られた恥ずかしさから、慌てて同じ問いを彼に渡した。すると、同僚で同居人、だとにべもなく言った。ついで出た会話の続きにその人のことを思いながら話す彼は一目見れば分かるほど、恋をしていた。話す言葉に一喜一憂が顔に出る。簡潔にごまかして伝えたのは、彼の年齢と世間体のせいかもしれない。しかし、相馬のことを話す自分も、もしかしてこんな風に嬉しそうなのだろうか。思う間もなく、仕事人間の相棒を持つ苦労が分からないのか、と彼に問い詰められ、会話はあっという間に弾んだ。

「あぁ~…置いてかれた方は、すげぇ寂しいよな…」

「…っ、そうそう!分かる!?なんで休日出勤も残業も平気でするかなぁ、と思いながらも、止められない自分もまた悔しいっ!みたいな?」

「いやいや、置いて行く方だって辛ェんですよ!寂しい思いさせちまってンだろうなぁ、とか、すまねぇな、とか、でも仕事は仕事じゃねぇですか」

「そりゃ、仕方ないと分かってるんだけどさっ!」

「それに、そうまで働いて家で出迎えられた時、漸く帰って来たぜって思うあの瞬間は、やっぱ最高に幸せっスよ!」

「…でも、向こうはきっと、君みたいに思ってないかも。半端ない仕事人間だからね。職場で年明けて蕎麦食って家帰って寝て、すぐ出て行って。帰って来たと思えば寝てるし、また出て行って…」

「す、スンマセン…。」

人のフリ見て我がフリを見る。とはこの事だろうか。野村はつい自分たちをシンクロさせてしまった。なんだか只ならない彼の気配に思わず謝ってしまう。
新年明けてまだ三日。すでにこれ程の寂しさを三日間味わわせているだろう身としては、涙が滲みそうになる。聞けば、彼も待ち人と二人の時間が過ごせていないらしい。今日は無理を言って呼び出したと、彼は苦笑を溢した。ちょっぴり羨ましい。あの相馬も、ここまで自分を求めていてくれるだろうか。思わず俯きそうになった野村に、お相手はどんな人?、と問いが投げられた。

「あ~…すっげぇ美人で、賢くて、気が強くて。でも…脆くて。ほっとけないっつーか」

「うわ、ベタ惚れだね」

「へへっ。あっ、でも物凄いツンデレだな。今流行りっていっても限度があるよなぁ…すぐ拳や足が飛んでくるんだぜ?」

「その割には、嬉しそうだけど」

「そうか?…って、俺Mじゃねぇからっ!」

野村が反論すれば、彼の笑い声がケタケタと空に響いた。
どうやら大切な人に寂しい思いをさせられているらしい者と、おそらく大切な人に寂しい思いをさせているだろう者、互いの悲惨さに溜め息を吐いて、後でしっかりお参りをしようと笑い合った。神頼みもどこまで行くかは分からないが、少しくらいは願いたい。

そうしてふっと息を吐いた時、ごちるような小ささで、彼が最初に零した野村への答えを手元に返した。
そっちの相手はどんな人だと問いたとき、年上で尚且つ生真面目な性格ゆえに、つい自分が頼り甘えすぎているのだと、彼はまるで謝罪するみたいに自分の掌に言葉を落とした。彼のどんな我が儘もダメだと言わないらしいその人に、野村はほんの少し、嫉妬を感じた。

(我が儘、か…それって、さ…)

愛されてるって、ことじゃないだろうかと、野村は思う。頼られたり我が儘を言われて聞いてしまうのはきっと、その人が彼のことを想うからだろう。ダメだと言わないのもきっと、聞ける範囲のものまでしか彼が言わないからだろう。おそらく彼はちゃんとそこを踏まえているのだ。だから、新年早々にこんな所で今日まで我が儘を言えなかった分の愚痴を、他人に溢しているのだろう。

「…うらやまし…」

「えっ…?」

野村には、相馬から我が儘を言われた覚えはない。どっぷりと甘えてもらったことはあっただろうか。否、あるわけがない。あの相馬が甘えてくる様は、中々に想像し難い。

「俺は、言ってほしいかも、ワガママ。少しでもいいから…アイツに言ってほしい…」

その人がうらやましい…。思わず零した言葉はやけに子供っぽくて羞恥に頬が熱くなるのが分かった。視線を感じて逸らしたけれど、耳まで赤くなっていてはあまり意味はないだろう。溜め息を吐きかけたとき、隣から思いもよらぬ科白がかかった。

「そんな風に思ってもらえるその人が、私は羨ましいけどね」

「へっ…?」

「ふふっ、自分たちって、ホントに似た者同士だと思わない?」

「…はっ……思う!」

けらけらと笑い声を零し合った刹那、彼の名だろうか、まるで猫か何かを招くように呼び掛けが響いた。途端にぱっと花が咲いたような笑みを浮かべた彼に、分かりやすい人だと野村も頬を緩ませる。すぐに腰を上げ飛び付いて行った勢いで早速熱燗のおねだりをしているその人の背を見送っていた野村に、ゆらり、一人分の影が重なった。

「新年早々ナンパか。いいな、明るい幸先で」

「ちょっ、ナンパな訳ねぇだろ!俺がどんだけ相馬を待ってたと思ってんだ!」

「知るか」

お待たせ、の一言もなく、見上げた先には不機嫌いっぱいで笑みを浮かべている相馬の姿。怒っているのに、にっこりと笑っているから余計に怖い。けれど、それがヤキモチからのものだと明白だから野村の顔も思わず緩んでしまう。その変化に気付いた相馬もまた、黒い笑顔を治め拗ねたような頬をほんのりと赤く染めた。

「漸く行けるな、初詣」

「…あぁ、こんなにずれちまって悪ぃ…」

「まあでも、こうやって無事に来られたからな。許してやるよ」

「……おう」

腰を上げ両腕を天に突き上げれば、凝り固まった体がぐっと伸びて音をたてた。それが側の相馬にもしっかり聞こえてしまったようだ

「なんか温かいモノ食いに行くか」

「あ?」

「疲れてんだろ。それに、今まで寒かっただろうし」

ただし、まずはお参りしてからな、と少し強めの語尾で付け加える相馬の台詞に、おかえりと言われた訳でもまだ家に帰った訳でもないのに野村は、あの部屋で相馬に出迎えられた時にも似た安堵感を感じた。自分が帰るべき場所に帰ったのだと思って、ニッと笑って一歩踏み出そうとした野村の体は、後ろから引かれた腕に引き止められた。

「あのっ、あのさっ!」

「わっ、な、なんだよ」

相馬の視線が痛い。振り返った先には、自分よりも少し低い位置に先程の男性がいた。小柄だとは思っていたが、仕種、容姿ともに含んでこのサイズは中々に可愛らしい。しかしながら、その遠く向こうからびしびしと突き刺さる彼の待ち人からも受ける鋭い視線が痛い。如何にも高級そうなスーツを着ているやけに綺麗な男前だ。苦笑して見せたけれど、返ってきた眼孔に宿っているのはきっと殺意に違いないと野村は冷たい汗を背に感じる。今まで会話をしてた中で、どれだけこの人がアンタのことを想っているか教えてやりたいくらいだというのに、この仕打ち。文句を散らしそうになった野村に、少し背伸びをした彼が声を潜めて耳打ちをした。

「私も、恋人待ってたんだよね!」

えー・・・今更?
思ったせいで、野村は盛大に吹き出した。バイバイ、と手を振った背中に野村は思う。きっと今、彼の心もほくほくと温かいに違いない。少し前の自分のように。誰彼構わず紹介できることではないから他人に初めて告げたのかも知れない。だったら尚更、幸せだろう


「随分楽しそうだな」

「は?」

「何…話してたんだよ…」

浮かぶ笑顔のまま、人込みに消えて行った二人を見送っていた野村に些か寂しそうにも聞こえる相馬の声が届く。取られたとは思っていないだろうが面白くはないはずだ。思わず笑んで野村は手袋に包まれた相馬の手を取った。一瞬体を強張らせたが、相馬も振りほどくことはしなかった。

「後で話してやるよ」

「今話せないことか?」

「そんなことねぇけど、相馬が困るかと思って」

「はっ?…なんでだよ」

人の流れに紛れ歩みを進めながら、目指すは賽銭箱。今年はちょっと奮発しよう。隣からひたすら疑問を投げる相馬に少しの悪戯心を感じながら、野村はにんまりと口許に弧を描いて見せた

「あの二人、恋人同士なんだってよ」

「…あ、そう、なのか…」

「あぁ。それで、恋人自慢合戦やってた」

「…こぃ、…はぁっ!?」

どれだけ自分が相馬を想っているかを話してた。伝えれば、みるみるうちに相馬の顔が朱色に染まっていった。怒鳴られるかと思ったが、さきほど相馬に言われた言葉を借りるなら、これは新年早々幸先がいい。

「相馬、今年もよろしくな」

「あ、あぁ…よろしく」

「それと、まずは今夜も、ヨロシクな」

「なっ!…バッ…っ、バカ!!」

冬空の寒さじゃなくて真っ赤に染まった愛しい君へ。
本年も、ご多幸と愛情を、宜しくお願いいたします。

summer holidays

summer holidays
 

山でキャンプや海で海水浴。プールから夏祭りに花火大会…特に野村のような年中無休のアウトドア派なお祭り男にとって夏のイベントはどれも目白押しで魅力的なものだ。さっそく夏休み近くになると、アレやコレやと予定を組む野村に誘われる。こんな時ばかり、頭の回転率が早いのも野村らしいのだが、夏休み前に行われるテストに悩まされるのもまた頷ける…。野村にとっては赤点を採ろうものなら死活問題にでも成るだろう、薔薇色の夏休みも追試の日々に変わってしまうのだから……。


「…あ゙~~止めだ!ちょっと休憩しねぇか?」

「さっき休んでから一時間も経ってないぞ」

シャーペンをノートの上に放り投げた野村に大野が苦笑いを浮かべる。いま寮の俺と野村の部屋で大野、安富を呼んで勉強会中だ。事の発端は昼間、教室で今年も早くから夏休みに浮かれた野村に色々な誘いを受けていた時、突然、担任から俺と野村に呼び出しが掛かった。担任が使う職員準備室…又の名を「鬼の魔窟」などと生徒らの間で噂される場所へ向かうと中に居るのは鬼…いや、鬼と言われる教師がディスクに向かっていた。何かまた野村が悪行でもしただろうか…?少し身構える俺達に担任、土方さんが静かに口火を切る。

「野村お前ぇ、今から夏休み云々と騒いでるつもりじゃねぇよな?」

「流石は土方さん。聞いてたンっすか?」

ギロリと精悍溢れる眼が野村に向けられるが、俺の心配は余所に本人だけは相変わらず満面でヘラヘラ。すると土方さんは立ち上がり野村の元へ歩み寄ると、顔面近く覗き込んだ

「去年のこと、忘れたとは言わせねぇ」

「き、去年っすか?勿論ですよ…あン時は世話になりました」

みるみる野村の額から汗が滲み出る。そう去年の今頃。確か去年のテスト期間も今日のように猛暑だった。

 

野村は単純に単細胞を兼ね備えた見本みたいな男。しかし、獣並の運動神経に比べれば知性は劣るが、成績が悪過ぎる訳ではけして無く。寧ろ数学などは得意分野と言っても良い。だが唯一の欠点は土方さんの担当である国語だった。本人が言うには、数学など1+1が2でしか無いように、式さえ覚えてしまえばどんな数や問題でも答えは一つしかない。しかし、国語など文系はそうもいかず。答が何通りもあるモノは大の苦手らしい。それも単純な野村らしいのだが、去年は夏休みの半数を国語の追試で過ごしたのだ。

「テメェの担任として情けない」

「そんな、土方さんは最高の先公ですっ!情けないなんてらしく無いっすよ!?」

ぶちっ…。自から地雷を蹴り飛ばしに行った野村は、瞬時に胸ぐらを掴まれ。まるで瞬間移動のように壁へ、ズタン!と殴り付けられ身体が崩れた。

「誰の所為だと思ってンだ。ぁあ?この口で言ってみろよオラ…」

「お゙ぶぶぐぶ…」

「待って下さい土方さんっ」

青筋を浮かべ震える野村の代わりに俺は思わず声を張り上げた。
壁に追い詰めた野村の顎を鷲掴み正に鬼のような形相で脅す土方さんを見て誰が教職員だと信じられるだろうか。端から見れば制服を来た高校生を苛ぶるヤのつく怖い大人だ。

「止めるな相馬。国語で赤点はテメェだけだ」

野村だけ赤点と言うのは、そりゃあ土方さんの機嫌を損ねまいと、他の者は国語の赤点だけは死ぬ気で避けるからだ。

「この俺の教えで赤点採るなんざ、どうなるか一度、分からせてやらねぇとな」

「ごへうなはい…」

「野村も悪気があって赤点採ってる訳じゃないです!ただ性理的に不得意で…」

「当たり前ぇだ。悪気があってやってンなら、説教だけでは済まさねぇ」

もう既に、説教の域を優に越えている気がしなくは無い。土方さんの手がギリギリと野村の顔に食い込んでいく

「テメェの赤点には俺の休みまで賭かってンだぞ。テメェらの青春なんざどーでもいいンだよ、このクッソ熱い中オマエとツラ合わせンのだけは御免だ」

「ごへふははい…」

恐怖で一杯になり壊れたように、ごめんなさい。しか言えなくなってる野村の代わりに言っておく、確かに野村の追試で休み返上は心苦しいが。執着地点がソコとは、余程の事が去年あったのだろう

「そこで、本題だが。相馬」

「は、はい!この命を賭けても、必ず赤点は採らせません!」

「よく言った」

瞳孔が開いた横目を向けられ。どうやら的を得た回答だったらしく、土方さんは冷やかに口端を吊り上げ。そして漸く野村を掴んでいた手を離すと、野村が凭れる顔面横の壁にドゴッ!と拳をめり込ませた。こんなにも恐ろしい壁ドンがあるだろうか。

「次の期末で赤点だった時は、貴様の夏は二度と来ないと思え」

「っ、心得ました…。」

ひび割れた壁の破片がパラパラと野村の肩にかかる。そこで力尽きた野村を担いで会釈をし、足早に職員準備室を出て 。魂が飛んだ野村の抜け殻を教室まで運び入れると駆け寄って来た大野と安富に事情を話した

 

「お前さ、寄りにもよって国語だけ赤点って器用だな」

 

「それじゃ土方さんもキレるよ」

 

クスクスと鼻に掛けた安富の笑みに、野村が恨めしい眼で睨む。

 

「煩ぇな。去年だって死ぬ気でやったンだぜ。なぁ相馬!」

 

「…まぁな。とにかく、二人にも協力して欲しいんだ」

 

「こー言うモンは人数多い方が効率良いしな」

 

「三人で野村に叩き込むって訳ね。授業料は高いよ」

 

安富が眉間に指を添えフレームが無い眼鏡をクイッと引き上げた

 


まず土方さん制作の期末や小テスト全ての過去問データからテストの傾向を安富が分析。大野と俺が野村の苦手な範囲を割り出し、安富が出した結果を含めて一週間の予定表を作成した。この徹底的な作戦は俺と野村の部屋に集まり夜半まで念入りな打ち合わせに及び。その間の軽食や晩飯代は勿論野村が負担する。

だが、ここで冒頭に戻るが。勉強会(内3人は講師)も遂に3日が過ぎ。地獄のような日程に野村が根を上げ始めた。小刻みに休息を挟もうとする野村を三人掛かりで教科書に押さえ付け。安富に至っては野村の財布を握り、休むならピザだの寿司だの出前を頼もうとすれば大人しくなった。

「野村~。喉乾いた」

「水飲め!水をっっ」

頭に必勝と描いた鉢巻きをする野村が声を張り上げる。時計は深夜を差し、さすがの俺達でも集中力の限界だ。

「才助、勘弁してやれよ」

「飲み物なら俺が代わりに買ってくる」

そろそろ野村の財布が悲鳴を挙げるだろう。もし赤点を免れても、遊ぶ金が夏休み前に底を尽きてしまいそうで、俺は自分の財布を手に立ち上がったが、その手を野村が取り制止させられた。

「いい、俺が行く」

「気にするな。二人に頼んだのは俺だし、お前は少し休んでろ」

「行くったら行くンだよ」

鉢巻きを取り払うと野村は財布を握り締め扉の方へ向かい。
安富が平然と部屋にあった雑誌を捲り始める

「俺ジンジャーね。大野はコーラだろ?」

「カロリー少ないヤツな」

「おぅ」

短く残して出て行った。3人の会話に思わず取り残されてしまい呆然としていたが、完璧これは寛ぎモードに突入しているらしい

「俺も行ってくる」

「ごゆっくり」

野村が気に掛かり付いて行くべきだと思った俺は、満面の笑みを浮かべる二人に留守を預け部屋を出る。少し行った所で、街灯の下を歩く野村を見つけて駆け寄った。

「お前も来たのか」

一つ頷いて野村の隣を歩く。住宅街でも家に明かりは無く、街灯だけが灯る薄暗い路にも人影は俺達のだけ。夜風も吹かず少し蒸し暑いくらいで、何処からか夏虫の声だけが聞こえてくる静かな夜だ

「この分じゃ、今年も暑なるな。外でも涼しくねぇや」

「あぁ」

「去年は最悪だったからな。暑苦しい教室で、いつもよりイライラしてる土方さんと一緒だぜ。あんなの二度と御免だ」

土方さんの怒気に疎い野村がトラウマを感じるくらいの雰囲気だったのだろうと光景が浮かぶ。よく殺されなかったモノだと感心までしてしまう。

「だから今年こそ、絶対ぇ遊んで遊んで遊び倒してやろうな!」

「そう思うなら真面目にやれよ。二人にも悪いだろ?」

「アイツら居る意味あンのか?自分達の勉強してンじゃねぇか。俺はお前だけで良いのによ」

「俺が教えたって真面目にやらないだろ」

去年のテスト前だって、俺は毎晩のように野村と勉強したんだ。
しかし直ぐに飽きてコイツは教科書に向こうとしなかった。と言うか、若気の至りと言うモノか、体に触れて来たり、押し倒されたり、
散々な目に会ったのだ。

「あの二人はお前が変な気を起こさない為の予防でもあるんだ」

ピシャリと野村に言い放つと、拗ねた子供のように頬を膨らませる

「仕方無ぇだろ」

「何が仕方無い。お前のせいで土方さんまで迷惑してんだぞ」

「分かってっけどよぉ。必至にお前が話してる顔見てたら起っちま―…」

ドスッ!と野村の腹に拳を当てて黙らせた。だから、コイツは何を考えてんだよっ。

「夏休みまでは勉強に集中しろ」

「休みに入れば良いのかよ」

「ッ、バカ!」

今のは言葉のアヤと言うやつだ。しかし、顔が火照るのは夏の暑さのせいだけじゃない 。そりゃあ授業がある平日より体に負担は無いかもしれないが。生憎、野村のように公然と言える訳が無い

 

「お前が追試に行くと、俺まで遊べないだろ」

 

「何でだよ」

 

火照った顔を見られまいと、首を傾げる野村をそのままに足を早めて半歩先を行く

 

「もし、俺が追試を受ける事になったらどうだ」

 

「お前が追試?天と地がひっくり返したって、あり得ねぇ」

 

「例えばの話しだ。山も海もプールも祭りも俺が行けなくなったら…」

 

「お前を置いて行くわけねぇじゃん。そんなの詰まんねぇし」

 

やはり予測した通りの言葉だ。だから俺は少し振り返って野村を見た

 

「…俺も同じ」

 

例え自業自得だとしても、野村が追試を受けてる最中に気兼ね無く過ごすのは忍びない。いや気を使う安富達に出掛けに誘われても、何か物足りない気がする。

静かな路の街灯の下、微笑んだ野村の顔が近付いて一瞬だけ唇が触れる。最近は二人のお陰もあって、地獄のような予定に血の滲むような猛勉強を文句を言いつつしていたし、久しぶりだから許してやろうと眼を綴じた。

 

「よしっ、コンビニまで走ろうぜ!」

 

「は?」

 

見上げた野村が突然、道端でアキレス腱を伸ばし始める。首を傾げてそれを見ていると、野村が笑みを浮かべた。

 

「座りっぱなしで体が固まっちまったから、気晴らしにな。負けたらアイス奢り」

 

「休み前に金無くなるぞ」

 

「心配すんな。これでも休みの為に結構貯めてンだぜ。気に食わないが、アイツらの授業料もお前が気にする事じゃねぇよ」

 

ポン!と背中を押されて然程ないコンビニまでの距離を走り出す。猛暑でも走れば体に当たる風が涼しかった。

 

寮に帰ったら、部屋には二人の他に客人が増えていて。勉強を教えてくれと縋る横倉に立川、蟻通と更に同室の中島までを新たに加え。残りの勉強会は大騒動となり、それでも全員何とか無事に赤点を免れ、野村の命も救われた。

 

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