ARDILA
Winter Lost
昔から、いつもこの季節が来る度に思う。凍つく水の冷たさに、邪魔くさい限りの雪に、肌を刺す北風に、流行り風邪を運んで来る乾いた空気に。冬なんてなくなってしまえ、と。
「って言うか、土方さんって基本、春と秋みたいな過ごしやすい時期以外嫌いですよね。暑い~とか寒い~って文句ばっかり」
「それの何が悪い」
「わー、すごい開き直り」
暖房の効いた土方の部屋に入って来るなり、どかっと座布団に腰を降ろした沖田が深いため息と共に襟巻きを外した。ぞんざいに畳に放られた上羽織りと襟巻きにだらしないと土方は小言を交えつつ沖田の前に熱々の甘酒が入った湯呑みを置く。ソレはさしずめ仕事後の褒美と言ったところ。因みに本日の任務は要人警護だ。沖田の目に途端に喜色が浮かび、飛び付くよう湯呑みに手を延ばした。柔らかな乳白色が揺れ沖田の喉がこくりと動くと同時に、沖田の肩から知らず入っていたらしい力が抜ける
「今日は風が強かったからな。寒かっただろ?」
「もー最悪ですよ。屋敷の前で待たされた時なんか、吹きさらしだったし」
「そいつは酷だな」
苦情出しといて下さいね。と告げる沖田は、笑っているのに目は若干本気だ。
土方が、まだ赤みを残す冷たい頬を両手で包み込むと、沖田の目がとろりと細められた。土方の手のぬくもりが沖田をじんわりと温める。よほど寒かったのだろう。まだひんやりとした頬や服も外の気温の低さを無言で物語っている。人使いが荒いと上に訴えたとて、それは今更だな…と本気でしみじみしながら土方は誤魔化すように笑って沖田の頬から手を離した。
障子の外では木枯らしが吹き、ひゅーひゅーと口笛にも似た寒そうな音をさせている。格子の間から覗く庭で風に翻弄される枯れ葉をなんとはなしに目で追えば、夏とは対称的に色の薄い空が目に入った。薄く延びる雲は真っ白だ。よく晴れていて、雪は降りそうにない。
「もういっそのこと雪、降んないかな…」
「雪?勘弁してくれ、余計寒いじゃねぇか」
「えーでも楽しいでしょ?土方さんも近藤先生もよく一緒に遊んだじゃないですか」
「いつの話しだ」
「昔ですよ、昔」
幼い頃は、はらはらと空から舞い落ちる白を飽きることなく追いかけていた。土方と近藤と3人、積もった雪をかけあって、雪合戦をしてみたり。手がかじかむと近藤が笑ってその大きな手で包み込んでくれたりして。沖田にとって、冬は凍えるだけの季節ではなかった。成長した今では、降れば視界が狭まり、積もると出歩くのも不便な面もあり単純に喜べない部分もあるが、それでも初雪にはやはり心躍るものがある。天から降る花に、許されるのなら駈け出してみたくなるのだ。どうせ同じ寒いなら、雪があった方が嬉しい気がする、と答えれば、土方は呆れとも感心ともつかない微妙な形に口元をゆがめた。
「犬みてーな奴だな…」
「そりゃ優秀な幕府の番犬ですから」
「躾はされちゃいねぇけどな」
クツクツと喉を鳴らしながらいつの間にやら至近距離に座っていた土方がさりげなく腰に回そうとした手を沖田がはたき落とすと至極残念そうに唇を突き出してみせる。それだけ見れば随分とふざけて見えるが、油断は禁物だと、沖田は身をもって知っていた。宣言通り躾が良く成されていない鋭いばかりな牙は隙を見せれば直ぐに噛みついてくるのだ。
「テメェ、寒い冬だからこそ暖めあうもんだろうが」
「そんなの言い訳にしか聞こえませーん。犬って言うより、土方さんの場合は狼ですよね」
狼だって犬の仲間だろ、としれっと言い切り抵抗する暇を与えず素早く延ばされた腕に横から抱き込まれて沖田はその無駄に高い狩りの能力の高さにため息をついた。そんなところは優秀でなくていいのに。まぁ確かに、服越しではあるが土方に抱き込まれていると暖かいのは確かだし。いつ誰が来るとも限らない真昼間の副長室でこれ以上のコトに及ぼうとするなら直ぐさま蹴飛ばすつもりだが、そうでないならまあいいか、と両手で握る湯呑みの半分まで減った甘酒をまた1口飲みこんだ。それは、沖田を体の中から温めてくれる。土方は沖田が本当に必要としていることを見抜くのがいつも誰よりもうまいと、素直に伝えるのは悔しいが沖田も認めている。
「ねぇ、雪降ったら雪合戦しましょうか」
「あ?やらねぇよ」
「じゃあ…かまくらはさすがに無理だろうけど、雪だるまとか作ったりして…。昔みたいに」
「……」
「ね?」
「…お前ぇの咳が治まったら、考えてやる」
渋々というスタンスを崩さない土方だが、それがポーズでもあると沖田は知っている(本気の時もあるが)。きっとなんだかんだで付き合ってくれるだろう。雪合戦なら負けず嫌い同士激しい戦いになりそうだし、市村とか他の者達も巻き込んでやると楽しい未来予想図に沖田の口が綻ぶ。
だいぶ暖まった沖田の髪を梳き、土方が軽く口づけたことには、沖田は気付かなかった。
冬は確かに過ごしやすいとは言えない。水は冷たいし風も肌を刺す。流行り風邪だって猛威を振るう。けれど。
「きっとですよ?」
「へいへい、雪積もったらな」
「やった!雪降るの楽しみですねー」
「…そうだな」
きゅうと抱きしめ返してきた腕から伝わる温もりに、楽しそうな沖田の笑顔に。案外冬も悪くないかもしれない、と土方が心の隅で思った事は、重ねた唇に隠しておいた。
パパの受難
トシと総司が好き合っているのを知り、それをすんなり受け入れた自分を見て隊士達は驚いた。アイツらも応援しているみたいだが、俺が知ったら良い顔をしないと思っていたらしい。
何で?まあ総司を大切にしているのは俺も一緒だが、トシなら総司に辛い思いをさせないだろうさ。心配はしていない。ああ、でも男同士だからか。んー、昔からそのへんは寛容な武家社会。あんまり偏見ないんだよなぁ。小姓も陰間ってのもいるし。
因みに俺はトシより前から総司と二人で出歩いたりするし、今でも総司は可愛くて仕方無いが、それで普通に甘やかすとトシが如何にも『面白くない』って顔をするから、最近はほどほどにしている。だって、心配性で嫉妬深くて総司に関してはかなり心が狭いトシに睨まれたら怖いんだよ…。
浪士の取り締まりの拍子にウチの隊士が店を壊したり道路で暴れたりお寺潰したりしちゃって、最近はトシの仕事が忙しい。いちいちソレを気にして手加減なんてしてられないのだけど、組の印象が悪くなっていくのに拍車を掛けていて、トシの労働にも拍車が掛かっている。
そう分かってはいた。でも心の赴くままいつも通りに深雪に会いに行っていたら今日は玄関前でトシに見付かって殺意ムンムンの目を向けられた。怖いです。何かいつにも増しておっかないよ。
「どこ行くんだ」
「えーと、あのな、そのぉ…みゅ、」
「非番じゃねぇよな」
「そうですね…」
「あーイライラする、毎日書類ばっか相手してるからイライラする。発散する為に稽古付けた奴らボコボコにしちゃったし、もう報告書とか決済書とか燃やすしかねぇなコレ、まずは目の前のタラシ野郎から燃やしちまうかなぁああ゙!?」
「すいませんでした部屋に戻るんで休んで下さいお願いします」
あ、そー言えば今日は総司が非番の日だったな。屯所に居ないから、またどっかの子供とどっかで遊んでんだろうけど。だからキレちゃってんだ。おっかないよトシ。
以前は普段通りの業務に加えて自主残業、時には何日も部屋に籠もって事務処理をし、不休で働くトシを皆が心配して諌めた。でも体を壊すから休めと言っても、本当に体調を崩しても、仕事が片付くまでは絶対に休まなかった俺の右腕。いつかパッタリ倒れるんじゃないかと本当に心配だったんだが。だから定期的に(権限で総司の非番に合わせて)休日をちゃんと消化し、たまにこうして非番をもぎ取るようになったのは喜ばしい事だ。だけど。
「あんたの机に未済分が置いてあるから読んどいてくれ。明日の昼前には帰る」
怒られるのは嫌だし、言われた通り書類に目を通していると着流しに着替えたトシが渡り廊下を歩いてるのが見えた。昼前に戻るのは明日は総司の夜勤だからか。なんだかトシに総司を取られたような、総司にトシを取られたような気がして、物凄く複雑で、その中に、ほんの小さな嫉妬と寂しさが襲う。
「……」
思い浮かんだのは、今日逢いに行けなくなった女(ひと)の顔。目蓋を綴じれば裏側に映るまるで天女のような優しげで美しいあの微笑み。
「トシも、諦めずに想い続けていたから総司と両想いになれたんだ、って言ってました。お幸ちゃんにも俺の愛はいつか伝わりますよね?今だって照れてるだけですよね?」
「いいえ、向こうは明らかに迷惑がってますぜ」
「バカ左之、そんなバカ正直に言うなっつーの」
いつの間にか、庭に立ってこちらを見ていた左之助と新八が、追い討ちを掛けてきた。
「目ぇ綴じてブツブツ呟かんで下さいよ。なにいい歳して青春してるンすか」
そう言いながら煙管を吹かす左之助。
「バカ正直に言うなってば左之、そこはそっとしといてやれ。あのさ局長、隊達が見たら幻滅しそうだから青春やるなら一人で部屋でやってて下さい」
…八っつぁん、お前も大概失礼だから。あ、煙管の灰はちゃんと煙草盆に捨ててね。若いやつらが真似するからさ…。
夜になって仕事も片付いたので、ようやく堂々と深雪に会えると休息所に向かっていたら、数メートル先の居酒屋からトシと総司が出てきた。飛び跳ねて楽しそうにしている総司と、そんな相手を満足そうに見つめるトシ。
うわ、あんなトシの優しい顔、久し振りに見たな…。声を掛けるか迷っていたら、二人はそのまま何処かに歩き出した。悪いとは思いつつ、好奇心というか野次馬根性が勝って後を着ける。
「ごちそうさまでしたー。あの店美味かったですよ!また連れてってくれます?」
「ああ。鍋もあったな。次はソレにすっか。そろそろ時季だし」
「ん?土方さん、逆ですよこっち。どこ行くの?」
「お前ぇ紅葉狩りしてぇって言ってただろ?この先の茶屋に紅葉の夜景見せてる部屋あるんだよ。嵐山までは連れてけねぇが、せめてな」
「ホント!!充分ですよ!…へへ、土方さんだいすき」
「知ってらァ」
ぐぉおおぉラブラブだあぁ!恋人と一緒に紅葉の夜景かぁああ!
俺もそんな贅沢してみてぇよ!羨ましいぃぃぃぃ!!
「忙しかったんでしょう?お礼に肩揉み任せて下さいね」
「そうか」
「あとは背中とかぁ、」
「それより下半身を重点的に頼むわ。今もコリが酷ぇんだよ」
「えっ、…もぅ、すけべ」
「そんな顔すんじゃねぇよ。紅葉なんか見させてやる余裕無くなるぞ」
トシィィィ!!ちょお前いつからそんな子にぃぃ!いや、吉原でも祗園でも数々の武勇伝とかは知ってるけどさぁ!副長さんは男前であっちも巧いけど態度も言葉も冷たい、でもそこが堪らない、って噂だったよねぇーー?あれぇ!?甘甘でデレデレなんだけどぉ!!!
「しっかし、だいぶ寒くなったなー」
「そうですね」
「って、こんな道の真ん中でくっつくな」
「暗いから大丈夫ですよ。手くらい、いいでしょ?」
「ったく…冷たくなってんじゃねぇかお前。ホラ着くまで上着羽織ってろ」
「え、でも、それじゃ土方さんが寒いだろうし…」
「お前に風邪ひかせるよりはマシだ」
なんだろ、後をつけるのが馬鹿らしくなってきました。虚しくなってきました。これっていわゆるアテラレタってやつ?胸がムカムカします…。
もうヤダ何こいつら。腹が立ってきた。後付けて盗み聞きしてんの俺だけど腹立ってきた。いや、カップルってみんなこうなの?これが普通なの?勇ワカンナイ!うわぁああん深雪ィイイ!!!
後をつけたのはここまで。ちょっと高級な出逢い茶屋に入って行く二人を、なんともしょっぱい気持ちで見送った。
「……戻ろ」
深雪に逢う為に出てきたのに、気持ちをそがれたというか何というか…。とにかく屯所に戻って眠りたい気分になった。フテ寝かもしれない。トボトボ歩きながら、思考はあの二人がこれから致すであろう事に及ぶ。
「そうだ、総司ってどんな顔すんだろ…」
トシに抱かれる時。普段はあんなに無邪気で可愛い子なのにトシとああしているとなーんか色っぽいし、あの鬼副長をメロンメロンにしちゃうんだから、相当アッチの具合も…。
「――ってイカーーン!!そそ、そそそ総司を相手に何考えてんの俺ぇぇぇ!!こんなこと考えたのがバレたら斬られる!殺されちゃうー!!」
うっかり花街のど真ん中だと言うことを忘れて叫んでしまった。内容が斬られるとか殺されちゃうだったせいもあって、側にいた見巡り組に職務質問された。最悪だ。俺の顔を覚えていてくれた人が居たお陰で直ぐに解放されたが、この事がバレてもトシに怒られちゃう…。明日正直に話そうか。でも総司のくだりは内緒だな!
「あの野郎…後付けて来やがって。店まで入ってきたら殴ってやろうかと…」
「もぅ、そんなこと言って。幾ら近藤さんが空気読めない人でも、さすがにそれは無いですよ」
男心と秋空の夕立
仕事が詰まってるらしく相手をしてくれない土方さんの布団で、何をするでもなくごろごろしていた。大人しく待ってろ、それが一番早く終わる、と言われたからだ。正直、退屈。
煙管の煙が部屋全体に充満しているのか、仰向けになって見上げた天井は白くもやっている。手を伸ばして意味もなくぱたぱたと扇いでみたが、視界はまったく改善されなかった。窓を開けようにも、外はあいにくの雨。それもどしゃ降り。でも後少しできっとからっと止むんだろう。秋の空は変わりやすいから。こんな天気が続いてもう3日目になる。自分の体すらじめじめしている気になって、ため息をついた。晴れが好き。からっとした、晴れが。雨うるさいな、てるてる坊主でも作ろうか。
「飽きたか」
書類に向かったままの土方さんに突然そう聞かれて、首を傾げる。
もう大分待っているのに今更どうしてと思ったけど、ふと、ため息のせいだと気付いて、さっきのため息を後悔した。
「まあ、退屈してないとは言わないですけど、そんなんでもありませんよ」
「…もう少しだ、待ってろ」
ちら、と見た土方さんはそう言ってすぐに書類に意識をもどした。
うん、と頷いて思わず笑った。邪魔しないように、うつ伏せになって枕に顔を押し付け笑いを噛み殺す。自分が気を遣って模範的な解答をしたことに土方さんは気付いたんだろう。本当は、まだ?と聞きたかった。それを分かってもう少しだと答えてくれた。
笑いの発作はどうにか抑えて、首を回して顔だけ土方さんの方を向く。真面目な横顔。浮ついたことには興味ない、みたいな顔をしているくせに、色んなことに慣れていて、私の嘘もすぐ見抜く。それでも、互いの踏み込んではいけないところはとてもよく知っていて境界線ギリギリで黙って、笑っくれている。そういうところ、すきだなあ。と考えて、胸のあたりがじわりと暖かくなる。顔がにへと緩むのがわかった。慌てて土方さんから顔を隠すように寝返りを打って背を向ける。右を下にして丸まると、いつも寝ているときの姿勢で急に眠たくなってきた。
むしろ寝てたほうが土方さんも気にならないんじゃないか、と今ごろ気付いて、そのまま眠気に身を任せることにした。起きたら、そして土方さんの仕事が終わってたら、そういうところが好きだって言おう。それから、どういうところが好き?って聞こう。ふっと意識が沈んで、雨の音も届かなくなった。
カラン、コロン
カラン、コロン。カラン、コロン。
下駄の音が2つ交互に、静かな、まだ薄明るい夏の夜空に響く。
吹く風は日中の暑さを残し、それでも夕刻独自の涼しさを含む香りを乗せ、2人の間を駆け抜けた。
カラン、コロン。カラン、コロン。
これから祭りに行くというのに、その音を奏でている沖田の顔には何故か、下駄音の軽快さにも祭りの賑わいにも似つかわしくない不満の色が、ハッキリ浮かんでいる。
「…ん?…どうした?」
カラン、コロン。
ふと、視線を感じて土方がそちらを見れば、ムスッと不満を映した瞳が土方を見上げている。正確には、彼が気になるのはどうやら衣服の方で…。
「やっぱり…歳三さんも、着物にすればよかったのに」
ぼそり呟かれた言葉は沖田の独り言のように夜道に落ちて消えた。
現在の寝床である試衛館を出た後から…いや、まだ部屋に居た時からだろう。自棄に視線を寄越していた沖田が口許に彷徨わせていたのはコレだったのかと、土方は密かに小さく笑む。何を気にしているのかと、早く問うてやればよかったな、と。
「なにも変わらねぇだろ」
まぁ、こっちのが丈が短いだけで…。言いながら土方は懐に仕舞っていた腕を抜き、作務衣と言うか平たく言えば甚平の袖に通す。
「稽古する時だって胴着も着ない人が」
神輿を担ぐでも無いのに、なんで今日に限って。と、子供染みた…と言うか土方からすれば未だ幼さ満点の沖田は、正に子供らしく小さい唇をツンと尖らせる。怒っているわけではなくて、これは単なる沖田の駄々だ。
「いつもの着流しはどーしたんですか。近藤さんからわざわざ借りてきて」
「たまにはいーだろうが。似合ってンだし?」
真夏の夜に涼し気な藍染めのソレは、本人が自覚するくらい確かに土方によく似合っている。只でさえ日頃から町を彷徨けば女に振り返られている土方は漏れ無く本日も人目を惹き付けている程だ。それは今更ながら不満に思う事ではない。それでも、沖田は不服なのだ
「なに拗ねてンだよ」
機嫌を伺うようにそっと手を取り土方が膨れる沖田の顔を下から覗き込む。瞬間、間近すぎる土方との距離に沖田の頬に朱が走った。照れ、とかではなく、理由は別にある。
「拗ねてません」
「お、まだお面の一つも買ってねぇと思ったが、もうひょっとこの面なんかつけてンのか総司」
「つけてない!」
「そうか?口がひょっとこになってっからよ。俺ァてっきり被り物かとな」
ニヤリと不適に笑いながら土方は、道から逸れて直ぐ脇の民家の塀へ沖田を追いやった。
背に硬い壁を感じて沖田の中で焦りと先程から持つ感情がぶつかりあう。どちらにしろ、それらに負けるワケにはいかないと目を泳がせている時点で土方本人に負けを知らせていることを悲しいかな沖田はしらない。
「…なっ、何ですか!祭りは?!」
「あぁ、行くぞ」
「だったら早くっ」
「そんな仏頂面して歩く気か?せっかくの祭も興醒めちまう」
口端を片側だけ吊り上げるのは、いつもの土方。既によく見慣れたその表情なのに、沖田はそれを直視できない現実がある。ふいっと顔を反らして頬を膨らませるが、その表面の朱赤はどうも濃くなる。夏の夜の暑さの所為ではなくて。
「じゃあひょっとこでも何でもいいから面でも買って来て下さいよ。つけて歩けばいいんでしょ」
視線を逸らしたまま。そこから抜け出そうと、沖田は土方の肩を押しやった。このままではバクバクと煩い心臓が保ちそうに無い。けれど否定とともに体を押し返され、沖田は肩を捕まれ再度壁に縫い止められてしまった。慌てて視線を上げれば、そこには悪戯を見つけた土方のなんとも楽しそうな顔。
「それじゃオメェが喜んでる顔が見れねぇじゃねぇか。詰まんねぇ」
「またそう人を揶揄って」
「揶揄ってねぇよ。俺は祭(を楽しむ沖田)を楽しみてぇってンだろ」
「祭その物を楽しむつもりは無いんですか!」
喚く沖田の口唇を静かに触れた土方の指が制す。薄色の月が浮かぶ紺色に飲まれ始めた空が土方の向こうに広がっていた。もうすぐ完全に日が暮れる。
「あんま可愛くねぇ事ばっか言ってっと、痛い目に遭わすぞ」
表情も口調も柔らかなのにその瞳だけが沖田に否定を許さない。それでもどこまでも沖田は素直に口を開こうとせず、ぷいっと再度背けられた顔はやはり赤いまま。
なぜだろう触れた肩が僅かに震えている気がして、抱いた揶揄い混じりの小さな答えを、土方は気紛れにも口にしてみた。
「まさか、惚れ直したってか…?」
笑いを含んで言った土方の科白に沖田が弾かれたように視線を戻しその瞳に目の前の人物を映す。驚きが隠せないと大きく見開かれた瞳は、バレた。と羞恥からか、うっすらと水が膜を張っているが、本人は直ぐにキリッとその双眸を険しくさせた。
「だ、…だったら、何だって言うんですか」
「は・・・?」
本当に沖田の反応が予想外だった為土方はまじまじと沖田を見詰めていると、
「なんか、いつもと違くて…」
だから、落ち着かない。と言って上目に窺いながら徐ろに伸ばされた沖田の指が静かに土方の甚平を掴む。たったそれだけの事なのに、ごくり、思わず土方は喉を鳴らしてしまった。只でさえ脆い理性が早くも崩れ落ちそうになる。けれど、もう少し。もう少しだけ、普段はこのうえなく素直じゃないと言うか生意気な恋人の滅多に見られないこの恥じらう可愛らしい姿を見ていたくて必死にその糸を繋ぎ止めたが。そんな大人の事情など沖田は知る訳も無く唖然としている土方に気まずくなったようで
「…ぃ、いつも着流しすら着崩してるのにそれ以上の薄着で出歩くなんて考えられないんですよ!」
途端にまた口を尖らせつつ強気に弁解するが、それがまた、極上の口説き文句だと沖田はきっと気付いていないだろう。
「ホラ、行かないんですか?足とか剥き出して、虫にいっぱい刺されても知りませんからねっ!」
「心配してンのか?」
沖田の耳元でそっと、低く甘いテノールが響く。離れ際、ちゅっと小さな音をたててその口唇が沖田の頬に触れれば、極上の赤に染まった顔が初々しいまでの反応を示す。
「まぁ、線香は持って来てっから安心しろ」
懐からチラッと覗かせるのに、流石は抜かり無い。と沖田は感心してしまった
「虫除けのテメェが虫に刺されちゃ格好つかねぇだろ」
「虫除け…?歳三さんが?」
「オメェみてぇな危なっかしい奴ァ、直ぐタチの悪ィのに捕まるからだ」
これまで土方が色々と手塩に掛けたり手を尽くしてきたりしたお陰か、どうかは定かではないが、上手い具合にだいぶ土方の好みに育ってきた可愛い沖田である。人の集まるような祭なんか行って何かあってからでは遅いのだ。
「まさかそれで…、ソレを着て来たんですか?」
「あぁ、着流しより動き易いからな」
甚平は謂わば土方の戦闘服だったらしい。いま危なっかしいと言われた沖田だが、幾ら活気が祭の醍醐味だろうとも喧嘩をする気で祭に来るような奴の方が、よっぽど危ないのではないのだろうか。そんな呆れに加えて少しの嬉しさで可笑しくて、つい笑みが溢れた。
「予定変更するか」
「変更ですか?でも…」
額を合わせて土方が笑めば、拒否はしないものの沖田はその意図を察して言葉を選んでいる。
今日は、楽しみにしていた夜祭りのひとつだ。なにかと祭好きな土方は随分前から気合いを入れて予定を立てていて。夜店であれこれを買って、秘密の特等席で夜空に浮かぶ大輪を見ようと虫除け線香まで常備して戦闘服を着込み。意気込んで来た訳だし。だからこそ、沖田は即答が出来ないのだが、
「虫が出そうな所は、行かないに越した事ァねぇさ」
行くぞと土方が手を取れば、沖田は指を絡めることで了承を示した。
カラン、コロン。
すっかり日の暮れた夏の夜空に、心地好い下駄の音が響く。
カラン、コロン。カラン、コロン。
楽しげな喧騒の方ではなく、それとは逆の灯りへと向かうその音は、片方がどこか緊張を帯びていて。けれど、なんだかとても、嬉しそうで跳ねてるようでカラン、コロン。と心まで映す夏の音。
ugly customer
歳三さんは過保護だ。
アイツはそんなことを言ったらしく。昨日、俺はその話題でさんざん揶揄れた。俺が公言した訳でも無いのに周囲の連中は俺と、その総司との関係に気付いたようで、別に隠してた訳でも知られたくなかった訳でも無いからソレはいいとして、アンタ心配性だし。彼氏じゃなくて保護者じゃねぇか。と言われて。それを否定すれば、心配と束縛を履き違えるなよ。とか言いやがる。
確かに俺はこれまで総司を弟分として愛でて…目に掛けてきて。更に言えば我ながら欲深く執着心が無いとは言い切れない。それでも、俺が心配性なんじゃねぇ。アイツが危なっかし過ぎるんだろ。そう言い返せば、でもそんなところが可愛いんだろ?と正に図星を射され、それ以上は言い返せなかった。(殴り飛ばしてやったが)
だからと言って、だ。
「なぁ、ひとりなんだろ?俺らと遊ぼうよ」
「いや、本当に人を待ってるんですけど」
「さっきからずっと居るじゃねぇかィ。そこで茶でもご馳走するからさ」
昨日の今日で、この状況に遭遇するのはどうなんだよ
「コイツに何か用か?」
あくまでも平静を装い声を掛ければ、相手の野郎共は途端に顔面蒼白にし。言葉を濁しつつもあっさり足早に去って行った。
「来るのが遅いから行けないんですよ」
何か言われると思ったのか、さっそく小生意気に宣う俺の心労の原因。フンと鼻を鳴らし顔を背けるコイツの危なっかしさと言ったら、実は俺を心配させようと企んでねぇか?と疑うほどだ。いや、本当に危険が及ぼうモノなら、悲しいかな、俺より幾分か勝る腕を持っているコイツだ。自衛は出来る筈だから心配などせずに済むんだろうが、
「感謝されても文句を言われる筋合いはねぇぞ」
「待たされなかったら声も掛けられなかったんです」
「は?待たせてねぇ」
約束した刻限には未だ余裕がある。そもそも、こうして総司を連れ出し。商いの終り次第に町で落ち合う時は決まって行商を上手く普段以上に適当…適度に済ませるから遅れる訳がない。況してやこんな事があったのは一度や二度じゃねぇし。尚更、俺が遅れる訳にはいかねぇ。そして、俺がこの道に出たとき既に通りの奥に、総司(と、さきっきの野郎共)は見えていたのだ。
「いつからココに居た?」
「んー…いつからだろ?」
「なんで分かんねぇンだよ。バカだろテメェ」
「うるさいなぁ。余裕もって来たからあんまり気にしなかったんですー。たぶん半時も経ってませんよ」
おいおいおい…半時近くは一人で待っていたってか?こんな人通りの多い所で
「そんな早く来ても仕方ねぇだろ。こんな所に一人で居たら声掛けろって言ってるようなもンじゃねぇか」
「そんなことありません。世の男がみーんな歳三さんじゃあるまいし」
「あんな奴等と俺を一緒にするな。テメェがそう思わなくても、回りはそう思うっつーことだ」
コイツの何が悪いかって、こうして何も自覚をしてねぇ事に限る。そしてそれこそが俺の一番の心労の根元と言っても過言じゃない。
剣の腕っぷしならそんじょそこらの男より遥かに優れ。何より男である総司に対し俺が危惧する訳は、コイツみたいなの(この俺がモノにすると決めたのだから当然と言えば当然だが贔屓目で見なくても平均よりかなり可愛いと思う)がぼーっと長い間つっ立っていりゃ当然ながら野郎共は放っとかない。胴着を着て竹刀を持っていれば多少は様になるものの、今日のように着流し一枚で出歩く時は案の定で。今まさにこうして立ち話をしている最中にも、あきらかに如何わしい野郎の視線が至る所から此方へ向けられているのが俺には分かってしまえる。そんでコイツは鈍い。いや鈍いと言うかバカだろう。あーしていちいち相手をしている辺りコイツは危機感などクソも感じていない。
そして只でさえ道場以外は隙だらけなのに、この暑い時季、今日はいつもより襟が抜けてる気がしてきた。ちょ、細っせぇ項とか目立ってンじゃねのかコレ?俺の邪な目にそう見えるだけなのか。いや、そんなことはねぇぞ断じて。って…いやいや待て、俺のことはいいとして。だ。
事実、総司は声を掛けられていて、それを強く突っぱねるどころか平然としている事が問題であり。剣の腕前は差し引き、こう丸腰の時には危なくて仕方無ぇって話だ。「とにかく、」俺は頭の中で切り返し。
「頼むから、あんま俺を心配させンな」
「はいはい。そんなだから永倉さん達にも笑われちゃうんですよ。歳三さんは過保護だって」
いや、心配性とは言われたが、過保護だと笑ってやがるのはコイツだけだろ。そして、まるで聞く耳を持っちゃいない総司の口振りだ。いやいや、だから俺は何も悪くねぇだろうが。
「心配してなにが悪ィってンだよ」
「悪いですよ」
「…はァ?」
間髪入れずに総司は返し。俺が思わず押し黙ると、柳眉を吊り上げながら総司が俺を睨み見た。まぁ、それが俺から見ると上目だから覇気も何もあったモノでは無いが。
「いつまでそう過保護なんですか貴方は。そんなんじゃ今までと何も変わらないし…もうこれ迄と違うんじゃない、んですか…?」
自分から切り出しておきながら仕舞いには言い淀み。顔をほんのり赤らめやがるから、不覚にも、どきりとした。
これ迄と違う・・・。いつまでもガキ扱いするな。と不満があるのかと思っていたが、どうやらそれは俺の勘違いだったらしい。過保護とか、もう親兄弟に似た情を受けるような間柄じゃ無い。と。つい昨日、彼氏じゃなくて保護者だろう。と俺は指摘されたばかりだが、まさか、総司までがそれを気にしているのは知らなかった。
そーきたか、と思わず溜め息が身の淵から漏れる。俺を丸め込むのにワザとやってンじゃねぇかとか勘ぐってみるくせに、結局はハマる俺がいる。このまま抱き締めてしまいたい衝動に駆られた。とき既に俺の手が伸びちまっていたが、真っ昼間のこの人込みでそんな事を仕出かすほど理性がないわけでもなく。俺は代わりにその手を総司の頭に翳して、撫でた。
「俺ァ心配だっつってンだ。過保護じゃねぇ。テメェが大切だからだ」
それくらいは許せ、と念を押せば、総司は俺を見上げ擽ったそうに笑った。
「じゃあそう言う事にしておきます。言ったからにはなんかあった時は駆け付けてくれないとヤですよ」
なんて総司に俺はまた面食らう。コイツはときどきこう言う事を言うから、俺はきっと、駆け付けろだ? そんな風に言われちゃ、間違っても目ぇ離せねぇじゃねぇか。ってモンで。
「そんならオメェは、俺の目の届く範囲にいろよ」
もう保護者代わりでも無い俺が言えば、本当に心配というよりはただの束縛だな。と思えば。ほら見ろ。と、後方にある八百屋の軒先に隠れているつもりだろうか、コッチを伺う見覚えある野次馬連中が笑っていやがり。無性に苛立った。
優柔バイオレンス
最近、総司がつれない…。
元は、それこそ五月の蝿の如く五月蝿い奴が、近頃は何故か大人しい。今朝も朝食の時から既に一人浮かない顔をしてた。総司が多少大人しいと言うだけで屯所内が俄に不気味なほど静まる。まぁ、それほど総司が普段から賑やかな奴だと言う訳で。俺も、日頃から幾度も黙れと怒鳴っている訳だから物静かなのも良いかと思ったが、御茶屋へしっぽりと洒落込んだ逢い引きの最中まで、だんまりときた。ここまで来ると流石の俺もイラッとした訳で、
「テメェ!さっきからモノも言わねぇで、俺になんか文句でもあンのか!?」
とか別に喧嘩がしたい訳でも無いが、口調が多少は(?)強くなるのは俺の性分だから仕方無い。そして、いつもなら直ぐに機嫌を取るよう甘えて擦り寄ってくるなり拗ねて逆ギレする総司が一言も発しようとせず。唇を尖らせて俯いたままで。やっぱり俺は軽く頭にキて。オイ!と胸倉を鷲掴み。迫ったところで漸く、総司はいよいよ観念したように唇を震わせ
「はがいひゃい…れふ」
「あん?」
・・・歯が、痛い?呂律がおかしい言葉を俺が脳内変換して、総司の顔を見ていると、
「いひゃい、ひひゃいよ~ひひはふはん」
途端に泣き出してポロポロ涙を溢し始めたもんだから、俺は、取り敢えず
「甘い物ばっか食ってるからだろうが、バカ野郎」
胸倉を取っていた手を外し総司の頭を引寄せ。もう片方の親指の腹で次々と流れてる滴を吹いた。
密かに、総司が俺に腹を立てていた訳でも何でも無かったと安堵させられつつ、いや、そんな心当たりは無かったが、たまに自分でも気付かない内に総司の機嫌を悪くさせちまう事もまぁまぁ無きにしも有らずだから一応身構えていた訳だ。なので、俺まったく関係無ぇじゃねぇかよ。と一息付いて、さて、
「医者に連れてってやるから泣くなって。な?」
「はふ」
「それより、今日は泊まるって言って来てねぇから、時間無ぇンだし。さっさと横になれ」
「はあ゙!?ひゃれふよっ!!ひひゃは?!」
「医者?そんなもん後だ、後!今を気にしろ!久々だしなァ~…」
「ひゃは!はふ!ふへふ!ひふぉお~~!!」
「ぁあ、ハイハイ。バカ、アホ、助平、鬼でも何でも勝手に言ってろ」
で、後日、医者に診せて落ち着いた総司の口は調子を取り戻した筈が、暫く俺とだけは口を聞いてくれなかった。