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then and there.
 

幕府海軍の誇る旗艦開陽は沢が艦長を務め。次ぐ回天には甲賀が艦長に就いた。それらは正式発表では無いが内々に纏められた。
幕臣時代に伝習所で操練所で机を並べた彼らが次々と花形とも言える任に就いたというのに、松岡はそのどちらにも乗っていない。艦隊の中で開陽に続き規模の大きい回天の艦長は言わば艦将の中でNo.2に匹敵する。
松岡は、勝と共に咸臨丸でアメリカ渡航の経験もあった。優秀だと言っても外洋の海には経験が乏しい甲賀に回天艦長の座を取られた事に対して、多少の憤りが無いと言えば嘘になる。
その後すぐ、松岡は蟠龍の艦長に任命された。原名はエンペラー。英国王女から寄贈されたその船は、軍艦では無いが英国王室の気品ある美しい船だ。不満など無い。それでもどうして俺じゃないんだと言う妬みが消えた訳でも無かった。






雲の欠片もない綺麗に晴れた青い空、碧い海。
気持ちの良さに思わず深呼吸さえしたくなるような、その日。前日の会議の所為で朝から甲賀の機嫌は最悪だった。海軍奉行の荒井と回天艦長の甲賀は、艦将の代表として奉行所で行われる会議へ出席した訳だが、なんとも成らない現実に話しは難航するだけで、元より気の長くない甲賀の焦りが苛立ちに変わっていた。


「なんでお前がいんの?」

それを悟って来たのかは定かではないが、朝の朝礼や諸々を済ませ艦長室に戻ると松岡の姿があった。勝手知ったる様子で2人分のコーヒーを淹れ、そして、甲賀の向かい側の椅子に腰掛けそれを堪能している

「いや、今日は天気も良いしな。そんな暇な日くらいは、一緒にいたいだろ?」

何を今更と笑う松岡だったが、いつものような罵声は一つも飛んでこない。見れば甲賀はあからさまに舌打ちを鳴らし不機嫌を顔の全面に出して、松岡から視線を外している。

「俺の都合も考えろよ」

「どっか出掛けんの?あぁ昼間から自棄酒か?」

一口、喉を潤してから問うも答えは返らない。カップをテーブルに戻して松岡は、自分を見てくれない鳶色の瞳を待った。

「お前がいると、うるせぇからイヤなんだよ…」

届いたのは、一切の感情を押し殺したような硬い声。その中にハッキリと消えろというニュアンスを得たが、松岡は表情を変えぬまま腰を上げ、けれど向かったのはドアではなくコーヒーの追加だと知って甲賀がその背に声をかける。出ていけ。と
しかしそれもどこ吹く風か

「そろそろ腹減ったなー。昼飯なに食う?どっか旨いトコ知ってるか?」

「人の話聞いてんのかよ」

「あ?聞いてるけど?」

反論も無く話をすり替えた松岡は、刺さる鋭い視線に体ごと向き直った。満面の笑みを浮かべている。甲賀は盛大な感嘆を吐き出した

「お前は、もっと言語理解能力は高いと思ってた」

「はは、褒め言葉か?」

黙れ、と辛辣な言葉がの口から続く。けれど松岡は、笑みを一切崩さずそれを受け止める。いつもと同じように。それが余計に、甲賀の癇に障るのも知っていてだ。

「一人にしろっつってんだろ。出てけ、降りろ」

「それを俺が聞かねぇのは、源吾も知ってるじゃねぇか」

「うるせぇ。帰れよ」

「帰らねぇ」

相変わらずの押し問答のように見えて、そこにはいつもは感じない絶対的な温度差が存在している。気付けば松岡の顔には甲賀と居る時には滅多に見せないポーカーフェイスが貼りついていた。

「昨日、何があったか知らねぇけどさ」

松岡のその科白に、甲賀の体が密かに震えを見せる。顔色が曇ったのは松岡にも知れたが、それでも言葉を続けた。甲賀にも知ってもらいたいと、そう思ったから。


「一人で塞ぎ込もうとするのはお前の良くな」

「うるせぇって言ってんだろっ!」

最後まで聞かず甲賀は癇癪のようにテーブルの縁を足で打って科白を切った。少しも飲んでもらえなかったコーヒーがカップから飛び散り点々と模様を描く。そして勢いで立った甲賀は松岡の胸倉を掴んだ。

「お前に何がわかんだよ!俺とお前は違うっ!」

「そうだな」

「あぁそうだよ!お前とは違うんだよ!」

そう、叫ぶように繰り返して甲賀は、はっとして眼を見張らせた。
鳶色の瞳に映ったのは、固められた表情の中に隠しきれない、滲んだ悲しさ。科白の中に覚えず含んでしまったモノを、やはり松岡は受け取っている。

「……っ…」

けれど謝罪をしてしまえば、本音でそれを思っていると認めてしまうことになるから言葉が詰まる。それは違う。そういう意味で言ったのではないと伝えたいのに、甲賀には言葉が見つからない。
嫌な沈黙の時間がより甲賀を責める。けれどその苦い時を破ったのは、松岡の方だった。


「確かに、俺とお前は違う。だからこそ、源吾が見えない部分も見えてんだよ」

襟を握る掌をそっと外し。側のベットへ腰を下ろしながら、無理にではなく、変わらぬ柔らかい松岡の声音が甲賀に解く。腕を伸ばし躊躇いも無く髪を撫でた掌は、俯く顔を上げるように諭している様で

「だからこそ源吾の色んな気持ちも受け止められる」

それは他人だから、違う人間だから出来るのだと松岡は笑った。



いつかに抱いていた妬みは今でも消えた訳では無いが、それでこうして甲賀の、普段は平気で人を罵倒して罵る奴のクセにそれだけは顔を曇らせることが、松岡はいつからか嫌になった。
何で俺の事なのに源吾がそんな顔をするんだと言ったとしても、甲賀はますます渋い顔をするだろうし。それだとなんだかますます惨めにもなりそうで松岡は言わないし。妬みが消えた訳でも無いけども、甲賀が思い留めていると分かったから松岡は、それだけでいいや。と思う事にしたのだ。


「お前の為ならどんなモンだって受け止めるぜ?全部俺に吐き出しちゃえよ」

代わりに捨ててやる。いつまでも手にしていないで捨てちまえ。と言った。

「バカじゃねぇの…お前」

お決まりの文句を告げた声には先程までの刺はない。けれどやはり見せてはくれない顔を、松岡は腰を上げて甲賀を見下ろし、指先で顎を捉えて上げさせた。
揺らぐ鳶色の瞳に映るのは、屈託のない笑顔。


「さて、昼飯なにすんだ?呑みてぇから付き合えよ」

午後には気分転換に降りて街へ出よう。きっと、心もこの空のように気持ち良く晴れるから。






 

then and there.

風ノ香ニ漂ウ
 


暗い夜の海を眺める。
その海はどこまでも暗く、空も水面の境目も無くただ黒い。

まるで全て飲み込むように


その中で一つ輝く上弦の月と、俺の指先で灯る小さな煙草の火。
毎夜、船員達が寝静まった頃に俺は独り甲板に立つ。別に陸が恋しい訳でも無く潮の匂いも厭きたくらいだが、俺は決まって同じ時間、同じ位置で煙草を吹かす


「源吾、冷えるぞ。」

「……。」

来たか。

同じ時間、同じように背後から、海に向かう俺の横にコイツは現れる。

「お前、いつも誰の許可を得て乗って来んだ」

「じゃあ、聞いたら許可してくれるのか?甲賀艦将」

するわけねぇ。と、言葉に表す代わりに、俺は紫煙を前方の闇に吹き付けた。煙りは辺りの潮の香に混ざり、波風に漂う。


「毎晩ココで、俺を待ってくれてるんじゃねぇの?俺ってひょっとして愛されてる?」

「寝言は寝ながら言え。」

「そんじゃ寝ようぜ。朝まで幾らでも言ってやるよ」

「ド馬鹿。寝るなら自分の船帰って寝ろ」

「ド馬鹿ってお前、酷くね?まだ寝ねぇよ。寧ろ今夜は寝かせねぇよ?」

「下に突き落とすぞ」


俺は、夜、船員達が寝静まった頃に独り甲板に立つ。
別に陸が恋しい訳でも無く潮の匂いも厭きたくらいだが、決まって同じ時間、同じ位置で煙草を吹かす。が
けしてコイツを待っている訳でも、況してやコイツが来るからでは無い。寝る前のこの時間を日課にする俺に気付いて、コイツが姿を見せるようになっただけのこと。そして、毎晩のように現れるコイツは鬱陶しい事この上無いが、だからと言って、コイツの所為で俺が日課を止めるのは何か違うし。そして俺が日課を止めない限り、毎晩のようにコイツは現れるんだろう。

酒を呑む訳でも何をする訳でも無く、仕事の話や仲間の話しは最低限の程度。ただ俺は煙草を吸っていて、コイツは馬鹿な事を一人で言って一人で笑ってる


「源吾、一口くれよ」

否応も無しに、俺の指から煙草を取り上げ、
口にくわえて直ぐ、先端の灯が尚更に赤く燃える。

月に雲が掛かると水平線も交じる闇の中で、唯一俺達を照らす小さな灯。それに灯さて見えるのは、さっきの俺と同じく前方の暗闇に向かって煙りを吐くコイツの横顔。

「ソレ、もういらね」

そうか。と言ってコイツは旨そうにもう一息付いた。
きっと今、俺は口の中までコイツと同じ味になったんだろう…な






「磐吉、キスしろ。」

「おぉ、言われなくても、してやるよ?」

含み笑いで歪む唇が、俺のと重なる。
潮の匂いや、普段のコイツの匂いとも違う
馴染みのある煙草の匂い。

波音も微か遠くに聞こえるような静な海上に、
光はコイツの指先にある煙草の小さな灯が一つ。
昇る煙が潮風に漂う。





「源吾、寒くねぇか?」

「べつに…」

「眠いなら言えよ?」

「お前が帰ったら寝る」

「つれねぇな、部屋入れてくれよ。ってか、寧ろ俺はお前の中に入り、」

「黙らねぇと沈めるぞ。」

 

風ノ香ニ漂ウ
serene sky

serene sky
 

部屋の前に着いて、ドアを開けようとしたら小さな紙が張り付いているのに気が付いた。

「なんだこりゃ」

指で挟んで力を入れれば容易に剥がれたそれに、思わず感心する。よくもまあ風に飛ばされずにいたものだ。手の平サイズのメモ帳に、ごく一部では珍重している鉛筆でだろう少し太めの線にも関わらず小さく書かれた文字。それでいて読み辛さはないそれは、けれど女の子の書くものとは違っていた。まあ海の仕事は男社会。身近に女の子は居ないのだけど


「えー、と?…はぁあ?」

羅列を最後まで目で追った後、口から出たのは溜め息とも呆れともとれる音。先も言った通りこれは女の子の書いたものでは、ない。決してない。断言できるのは、最後に書かれた名前からもこれの差出人が男であることは明確だ。にも関わらず書かれる内容といえば、なんというか、告白とも取れるもの。


「悪戯か…?」

「悪戯じゃねぇよっ!」

「っ…」


暇な奴がいるものだと零した科白を遮って、どこからともなく声が飛んで来た。否定を示したそれは紛れも無く、男の声。いや、男というにはまだ若く、自分とさして年が変わらないのが知れる。その確証は、通路の影から現れた姿を目に映したことで得られた。無造作に束ねられたバサバサ揺れる髪はわざとではなく、癖なのだろう。その下のまだ若さ感じさせる少し日焼けした顔は歪み、己の失態を悔いていた。


「う、あっあのっ…悪ぃ」

「…コレ…お前?」

「えと……あぁ…俺…」

握り潰しかけた小さな紙を顔の高さまで掲げて見せれば、目の前の表情が複雑なものに変わる。なんとも非常に分かりやすいタイプだと、顔には出さずに思った。元々会うつもりがなかったのは、この手紙からも察せる。それでも近くにいたのは、やはり悪戯だと疑われるのが嫌だったからか、思いの外自分の戻りが早かったせいか、どちらなのかは彼にしかわからない。


「で…?どういう意味か、聞いてもいいか?」

「それは…、読んでもらった通り…なんだが…」

「読んだ通り、ね…」



愛の告白、という意味か。
頬を指で掻けば、困り顔の青年は俯き、まるで断罪を待つようだと思った。


「俺と、話したことあったか?」

「…直接…は、ない。ない、けど…、見てた」

「…ふぅん……あっそ」


まるで敵でも問い詰めてる気分なのは、気のせいではない。けれど、内にわくこの感情は、現場では決して味わえないものだ。うなだれた頭に、覚えず滲んでしまった笑みが見えなくてよかったと胸を撫で下ろす。

まさか、向こうからやってくるとは思わなかった。

さて。突き放されると覚悟している彼は、同じような内容を自分が口答した後、いつも遠巻きに見ていたあの眩しい笑顔を、今度こそ目の前で見せてくれるだろうか。まずはその情けない顔を上げてもらうべく、漸く知ることが出来た名前を、高鳴る鼓動のまま音にした。



 

full moon
 

宵の口か。見上げた空は微かに橙の混ざった藍色。
今から、もう間もなく完全な夜になる。本日は十五夜。
薄く浮かぶ月は完全に満ちていて、まるで神秘的な光を放っていた。


「……。」

「よ、今日は俺が先約だ」

また勝手に、性懲りも無く不法乗船しやがって。
甲板の端の手すりに体を寄せながら、俺を横目で見て笑う磐吉。
ち、と俺は舌打ちして幾らか距離を置いて腰を下ろした。
手すりに背中を預けて、てめぇなんぞどうでも良いと倉庫から取ってきた酒を煽り煙草に火を灯す。

「海の上じゃ薄も団子も用意出来ねぇが、正に特等席ってヤツだな」

贅沢にも月が2つあるぜ。と言う磐吉と俺の頭の上にぽっかり浮かぶ十五夜の満月。そして穏やかな水面に映る水面の満月。
何が面白ぇのかくつくつ笑うこいつは手すりから体を離すと、ゆっくりした足取りで俺との距離を詰め隣に座った。
だから俺は、よっこらしょと腰を浮かして、次に降ろしたのは胡座をかいた磐吉のその膝の上。

「こっちの方が特等席だな。月見するにゃ良い椅子だ」

「げん、」

言葉を途中でぱくり、飲み込んでやる。こいつの唇は厭に柔らかかった。

 

full moon
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