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Morning coffee

モーニング コーヒー


「どうだ、旨いか…?」

一口目を口に運んだ途端、机に身を乗り出しながら彼は聞いてきた。
まだ熱くて味はよく分からないけど、早く何か言ってあげなければ成らないと挽き立てで煎れたての熱い珈琲を喉に流し込む。その間も彼は期待の眼差しで真っ直ぐ僕を見詰めていて、

あぁ、熱いけど、うまい。

と思ったのと同時だった。
彼の単純に綺麗な顔が綻び、パァと明るみが増して。
どうだと言わんばかりに、彼は笑みを溢す。

「そうか、旨ぇだろ」

僕まだ何も言ってないが。
でも確かに美味しいので、体の奥に染みるような暖かさと上品な芳香に、あぁ。と頷いた

「だろ?やっぱ俺ァ何しても直ぐに出来ちまうってェの?器用なんだよ。ほら、大鳥さん遠慮しねぇでどんどん飲めよ。たんまり煎れたからさ。あ、茶菓子とかあったかな?」

ちょっくら見てくる。と、畳み掛けるよう言うと彼は慌ただしく部屋を出て行ってしまった。
そんな酒じゃ無いんだからどんどん呑めるか。胃を痛めるだろ。と僕が突っ込みを入れる隙も無かった。


最近、彼は珈琲の淹れ方を習得したそうで色々と拘っているらしい。

釜さんから伝授してもらったとかで、道具一式を借り受けて来て。豆の分量、挽き具合、お湯の湯加減やカップの温度調整まで細かに気にしていたのをさっき僕は見せられていた。それらを教えた奴もかなりの懲り性だと昔から思っていたが、どうやら彼も相当の懲り性のようで。こうしてのめり込むと徹底的に追究しないと気が済まないのか。発句なども好きだと聞くから感性が貪欲で柔軟と言うのか。僕が見ていた限り楽し気に真剣にここ数日間ずっと飽きもせず熱心に暇を見付けては珈琲を淹れている。

ただ、珈琲など彼が自分で淹れなくても市村くんたち小姓が居るのだから正直そこまで研究せずともいいと思う。が、おそらく彼は珈琲を淹れる工程に楽しみを見出だしてしまったのだろう。

彼が淹れた珈琲の味見は、毎回僕がしているのだ。
それは彼からの申し出で。感想を聞かせてくれと求められた。
僕としては、珈琲は頻繁に飲むから常に淹れてあると助かるし。特に朝なんかは珈琲を飲まないと始まらないと言うか。そして何より、あくまでも淹れる練習で僕の為じゃ無いと言えど、彼が淹れた物を飲めるのは嬉しいから断る理由は無かった。
彼本人は未だ慣れようとしている最中なのか、淹れるだけ淹れてこうして僕に飲めと進めてくるばかりで、自分は味を確認するように一杯の半分を飲む程度。その度に帳面に何かを書き込んだりしているのも見ている。きっと分量や味など細かに記帳しているのだろう。根は几帳面でもある彼らしい

最初は苦味が強すぎたり味が薄かったりしたが、器用だと自負するだけに彼はあっという間に旨いと思える珈琲を淹れてしまえるようになった。コレで僕の役目も果たせたのか。この手元にある珈琲が味見の最後の一杯になるかもしれない。
彼のように何でもそつなく出来てしまえる奴は熱し易いが冷めるのも早い傾向があると思う。思い通りに成って気が済んでしまえば途端に満足して興味を無くす。
これから飲む機会も減るかと思うと急かしてくる彼には悪いが、何処か勿体無いような気がして。
僕はまた、ゆっくりカップの中身を一口含んだ。

我ながら女々しい事を思っていたら彼は直ぐに戻ってきた

「ソコでカズヌーブさんと会って、洋菓子もらった」
「あぁ、それはマフィン。甘いパンみたいなもんさ」
「へぇー、あ、ぜんぜん飲んでねぇじゃねぇか」
「珈琲はぐい飲みするモノじゃないだろ」

彼は僕の隣の椅子を引き、そこへ腰掛け。小分けに包まれるマフィンを一つ開き、まるで握り飯のように手で掴み頬に頬張った。
悪くねぇ。と頷く。どうやら気に入ったようだ。確か僕の為に持って来てくれた物だった気がするが


「どうして急に珈琲なんかに拘るようなったんだ?あまり好きでも無いだろ」

聞くと、あっと言う間に菓子を食べ終わった彼は立ち上がり。

「なんとなく。榎本さん見てたら面白そうだったし」

卓上に拡げたままの道具を片付け始めた。コーヒーミルを拭く姿が様になるのは見目の良い特権だな。
なんて、素直に思いながら眺めていると、彼はフと手を止めてコチラを見た


「アンタ、いつも朝は時間ギリギリに起きるだろ」

まったくその通りで。僕は苦笑するしかない

「もし、朝早く起きるってンならソレと同じの淹れてやるよ」
「・・・君が?」
「時間掛かるからな。早く起きた時だけだ」

一応この僕の部下はどこまでも優秀ながら賢く。綺麗に笑う。

「それなら当然、君もこうして僕に付き合うのか」
「そうだな」

そんな事を言われたら、


「是が非でも起きるよ」


彼が心変わりせぬ内は夜更かしもほどほどにして、
それでも駄目なら本多に何が何でも叩き起こしてもらおう。と決意した。


彼とモーニングコーヒーを飲むために。



 

モーニング
慷慨トッカータ

Pollution Toccata

慷慨トッカータ


どうも気が引ける。
僕は男だが同じ男を好きになって、好きになったら、もう男とか女とか関係ないだろうと思ってるが、彼は、そうじゃないらしい。

いやいや俺は、そのアンタの…アレだし、まぁなんだ、その、アレだぞ…?嫌いじゃねぇし……アレだが、盛るのはやめような。ちょっとまだそこまで割り切ってないと言うか…いや勘違いすンなよ!アレだから!と、盛った時に言われた。言われたんだ、土方くんに。

 

それはもう甘酸っぱくなんか無く、苦い思い出でしかない。なんか傷付いたと言うか、恥ずかしいと言うかそんな感じで、まぁその後、彼はこれでもかと言うくらいにキスは許してくれたから傷は大したもんじゃないが。とにかく、土方くんはキスはしても、それ以上の進展を拒んでいたわけだ。ここは押し倒すしかないだろう!という場面も得意の器用さでスラリと交わしてみせた。それなのに、どうも気が引ける。

「ヤろうぜ!」

異様なテンションで言われたその言葉が、頭から離れない。あの土方くんだぞ。あの、土方くんがそんなことを言うはずがないだろう。いや、現に言っているが、それでも言うはずがないんだ。戸惑っている僕の首に腕を絡めて、なぁなぁと擦り寄ってくる。妙に火照った顔はああもう勘弁してくれって感じだ。手をぐっと握って堪える。そうだ、彼がこんなことを言うはずがない。

「よくもまぁ呑んだな…」
「おぅ、」
「おう、じゃない」

まったく。土方くんがヤりたくない事を、僕は知ってる。土方くんが酔っ払った勢いで何か仕出かして失敗するタチだってのも分かった。だから誘って来ても、僕はそれこそスラリとかわさなければならない。今更ながら開きすぎている胸元がなんか気になっても、かわさなければならない。って言うかなんで膨らみも谷間も何もない平らなものだと分かっているのに気になっているのだろうか僕は


「男に欲情してたまるか」
「この間盛ったくせに」
「違う、状況が違うだろ」

くそう、気が引ける。こんな雰囲気でヤってはいけない。取り敢えずこの酔っ払いを寝かさなければ。このまま誘われてちゃ僕の理性がプチンと切れるのも時間の問題だ。くっついて離れてくれない彼をズルズル引っ張りベットへ連れて行く。寝るように言うと、ヤる気になったかよー。と、いちいちキスをしてくる。ああもう勘弁してくれ。

「ヤらない」
「なんで」
「なんでも」
「遠慮はいらねぇよ?」
「はいはい」

無理矢理布団の上に寝かせる。最後まで首に絡みついてた腕を剥がす。そうそう、これでいい。いいんだ圭介。キープイン理性。

「じゃあ帰るから」
「はいよ、りょーかーい」

ひらひら手を振る土方くんを一瞥してから、部屋から出てドアノブに手をかける。何事も起こさなかった自分を褒め称え、息をついた。


「優しいな、アンタ。」

そういうとこ、好きだぜ。
ドアを閉じる直前、そう確かに聞こえた彼の言葉に、ああ誘いに乗らなくて良かったと心の底から思った。だって、それこそ気が引けるじゃないか。


 

そんな貴方がイトオシイ

Such you are Itooshii

そんな貴方がイトオシイ

大鳥は、取り合えず苛々していた。
大抵は周囲の者から慕われ人好きするその顔で、ぐっと吊り上げた柳眉の眉間に深く皺を刻み。人前では笑みを絶やさない口許も今はへの字に曲げている。


「……なんやねん…」

つい、本音が大鳥の口から溢れ出てしまった。

穏やかな五稜郭の午後に大鳥は茶でも一杯どうだろうとルンルン気分で土方の元を訪ねた。
現在、大鳥はその土方に猛烈アタック中である。まぁ仕事となれば普段からことごとく衝突しまくっている訳だが。私生に於いても土方に猛烈アタックをかましている最中だ。そんな大鳥に土方は相も変わらず悪態をつきながらも部屋には迎え入れてくれた。また来たのか、などと台詞は寄越したが。その顔には呆れたようにだが俄に笑みが滲んでいたのを大鳥は見逃していない。

なんだかんだと言いつつ土方が振り向いてくれるのも時間の問題かと自惚れた次第だったが…


「……なんなんだ一体…」

同じ台詞をもう一度。ソファーでクッションを見詰めながら大鳥は、身の底から溜め息を散らす。

「なんでだよっ」

三度目の同じ台詞は主張を込めて少し大きな声で。けれど悲しいかな、届いて欲しい人の耳にはまったく入っていないご様子。コチラを見てさえくれない土方に大鳥の機嫌が瞬く間に降下してゆく。


「なんだよチクショー!」

怒りの矛先は決して愛しい人へではない。勿論、愛しい人がまるで我が子のように大切にし時折大鳥を壮絶な窮地に陥れる新選組でもない。確かに大鳥がここに来た時、島田には睨まれ、やはり子は親(代わり)の背を見て育つから似るものか市村にも「また来たんですか」と嫌味を言われたし。土方もそれは特に注意してくれなかったが、2人を部屋から出してくれたのだ。それで大鳥は一度、付け上がっていたのだ。

では、何が不満かと言ったならば…。


「あぁ!あの呉服屋の奥にある蕎麦屋んトコ!でもさ日本橋の──…」

彼。榎本武揚である。大鳥にとっては上官であり昔馴染みでもあり、現在は最大のライバルだ。
今度ここに寄港する何処だかの国の誰かと面会があるから土方に同行してくれと依頼に来たらしい。そうして事ある事に声を掛けている榎本は自棄に土方を気に入っている。と言うか明らかに土方に言い寄っていることは、同じく土方に言い寄っている大鳥からは一目瞭然で。姿を見るや否や、あ、2人も休憩中だった?とか言う榎本の白々しさに大鳥は隠しもせずに不機嫌を露に見せた。

更に、その榎本の隣


「いや、私は両国の方ですかね。ホラ、見世物小屋が並ぶ場所の────」


こっちは松平太郎だ。大鳥にすればもう一人の上官であり忌々しい限りだがこの男も土方に言い寄っている内の一人であり。曲者と周囲を謂わしめているらしいその食えない資質に大鳥は榎本よりも寧ろ懸念している男である。
榎本の少し後に借りていた本を返しに来たのだと松平は言ってきた。榎本が行くのを見計らい便乗しようとでもしたか。と推測する大鳥から思えば、そう言う所が食えないと思う訳だが、土方は、今日は何だってんだ。と笑い。その眩しい笑顔にすら胸をときめかせながらも、まったく笑えないのは大鳥の方である。

ただし、こんな日だ。
雪も降っておらず街から少し離れたこの五稜郭には穏やかな午後の時が流れている。誰もがそれが束の間と分かっているだけに、たまにはいいだろう、と自分の私欲に走ってみれば、それが、たまたま3人とも同じく土方と過ごしたい。と言う願望だっただけの事だろう。と、大鳥は半ばこの状況に諦めが入っている。
そりゃ過ごすなら2人きりがいいに決まってる。邪な思惑は無い…と言えばぶっちゃけ嘘になるかもしれないが。それを置いておいても大鳥は、この状況を仕方無い。と思えるのだ。自分は、土方と居ればそれで十分幸せに満たされるのだから。と、

それでもだ、


「用件済ませて本返したんなら、さっさと帰れよ…」

クッションに向かって愚痴を吐く姿は、余りにも惨めである。

ついでに上がってお茶くらい、なんてよく聞く文句を榎本が受け。松平も受けたのは確かもう2時間ほども前だ。それから、ひょんな話の拍子で始まってしまったのは江戸っ子談義である。
それこそが、2人きりになったと浮かれつつも邪魔が入った事には潔く諦めて、土方と居れればそれで己は満足だ。などと言い聞かせ妥協している筈の大鳥を現在もっとも絶不調にしている理由なのだ。
土方も榎本も松平も謂わば同郷。大鳥だって江戸は慣れ親しむ場所だけども。それでも流石に“生粋”には敵わず。そして、あぁ~あ…あんな楽しそうな顔して。と大鳥が羨望視するテーブルでは榎本と松平は共に的確に話題を選んでいるか、どこの湯屋や飯屋が良いとか何とか。随分と土方も威勢よく弁舌であり話しに夢中なのだ。
話しに入ろう思えば大鳥も加わる事は可能だろうが、

ただ、認めたくない。認めたくないが。

しかし、今の土方は本当に楽しそうで。ともすれば、その顔をさせているのが自分じゃない事が、不愉快であり。そう思うのに、大鳥に土方の喜楽に満ちた笑みを壊す事は出来ようも無く。3人の間に割り込む気に、なれないだけなのだ。

「……僕も健気だよなぁ」

などと愚痴だけでもせめて陽気に言ってみる。
自分で自分を誉めてやりたいと、慰め相手に任命したクッションと共にソファーへ横になった。いっそ終わるまでふて寝して待つか。だが素直に喜べないとは言え、せっかく近くで土方が絶えず笑っているのだ。その笑顔は、見ていたい。
どちらを取るか、考えていたこれまた矢先に…。


「とぉーしぃーさぁんっ!…って、今日は随分と先客が居るじゃねぇかぇ?」

勝手知ったる新たな来客者。ノックを鳴らしたにも関わらず、返事を待たずして敷居を跨いだその人は早々に、ひょっこり室内に現われた。

「お前ェなぁ…来るなら来るで予め言わねぇか」

また賑やかなのが増えたと土方が肩を揺らして苦笑する。中身はお泊り道具か弁当か土産物かその全てか、背中に背負う大きな風呂敷を下ろし。大鳥がソファーに居るから空いていた土方の隣の席を取ったのは
松前からようこそ、江戸の真髄若旦那伊庭八郎である。

「先に言えったって。トシさん、言えばその日は非番になんの?」
「なんで俺がテメェの為にわざわざ休み取るンだよ」
「酷ェ!ソーサイ何とか言ってくれよォ。明日は会議しねぇとか一言」
「なんで君の為に会議まで休まなきゃならないの」

そんな即席漫才を目の前に、松平がクスクスと笑みを溢し。片や頭を抱えるのが一人。足をバタつかせながらソファーの上で悶絶していた。

なんやねんコレはっっ!?神はどこまで俺を弄れば気が済むんだっ…!?と
あまりの展開に神に見立てた相棒のクッションへボフッと頭突きをかまし。掻き握れば今にもその布地が千切れてしまいそうだ。今日一番の不幸は寧ろこのインテリア雑貨じゃなかろうか。

ありえんっ!!ッちゅーか4人も居て誰1人もコッチ気に掛けたりせえへンのか!?
ひとしきり暴れた大鳥が海より深い溜め息を吐いた頃には既にもう東側は新たな談義を始めていた。

当然、上方は置いてけぼり

「孤独感が半端ないぞコレ。せめて人見くんでも一緒に来てくれたらよかったんじゃないのかコレ…」

相変わらず和気藹々と話し合う3人を遠巻きに見て、どうしたものか、と大鳥は相棒に顔を埋める。

「僕が一番先に来たのに…この仕打ちはどうなんだよ土方くん…」

その土方も、あちら側の人である。

届かないと分かっていながら口から出るのは恨めしい言葉ばかり。
構ってくれなくても、傍に居ればそれでいい。などは、所詮は綺麗事に過ぎないのだろうか。はぁ…、とまたも深い感嘆が漏れる。
ごろごろと器用にソファーの上で寝返りをうつ大鳥を尻目に、江戸っ子達による江戸談義は暫く続き




「……と…大鳥さん?」

「んっ…?っ…はれ…?」

体を揺り起こされ、大鳥が重い目蓋を持ち上げれば、ぼんやりとした視界に顔を覗き込むよう見下ろしている土方が映る。

「あ…?寝てたか?」
「あぁ、少しな。こんなとこじゃ風邪引くだろうが」

くぁっ、と欠伸をひとつ。すると横から

「ほら、コーヒー」

そう言ってカップを差し出され。それを受け取るべく体を起こすその上に、土方の上着が乗っかっていた。

「どうも」

2つの意味を込めて土方に言ったところで、土方の奥から未だ賑やかな声がした

「いつまでいる気だ…」
「あ?」
「いや、何でもないよ」

思わず眉根を寄せるも土方に覗かれ直ぐさま笑顔にすり替える。
香りに誘われ大鳥は白い湯気を通して彼方を睨み付けながらも、愛情がたくさん籠もっていると己に暗示しながら、有り難くカップに口付けた。

「旨い」
「当たり前ェだ。俺が淹れたからな」

フっ、と鼻で笑うも土方のその顔は甚くご満悦だ。大鳥も笑い返せば、漸く胸につっかえていたモノが取れた気がした。

「あーっ、君ちょっと一人で食べ過ぎ!」

しかし、その甘い時を突き崩したのは、親友の上官。どうやら伊庭の手土産でも開けたのだろう。ふっくら頬を膨らませる伊庭と榎本が騒々しい。カップを持つ大鳥の手が、思わずわなわなと震える。

「土方さん、早く来ないと無くなる。起きたなら大鳥さんも」
「おぅ、いま行く」

「…ッ、土方くん」

咄嗟に行こうとした土方の腕を縋るように掴んでしまった大鳥。それを見下ろした土方は大鳥の眼の奥が俄に揺らいでいるのに気付き、このままテーブルに戻るのは何故だか酷く罪悪感にかられてしまい。まるで捨て犬な上司に思いのほか優しく声をかけた

「どうした…?」

すると、その男の持ち前である人懐こい瞳が少し驚きに見開かれた気がした。掴まれたから、なんだ?と困惑したのは土方の方だった筈だが

「いや、なんでもない…。すまない、寝惚けたかな」

それが見間違いだったかのように大鳥はにっこり普段通りの笑みを見せて、掴んでいた手をそっと離した。
行くな。など言えるはずも無い。大鳥には土方を留めておきたい理由は有れども土方に留まる理由は無いのだ。

だから、そんな軽率な事は理性が歯止めを掛け。些細な仕草に紛れ込ませた。少しでも自分を気にしてもらえたなら、なんだかもう、それで大鳥は満足したのだ。同情するなかれ。これも溢れんばかりの愛あって、のモノである。

「なんだよ、何かあンだろ?」
「いいや、何もないぞ」

へらっ、と笑った大鳥に、こちらも自前特有の三白眼がキラリと光った。悪いことではないと分かっているが、例え小さな事でも隠し事をされるのは良い気分ではない。

「ホント何でもないって」
「…ホントかよ」
「ホントホント」

今にも胸ぐらを掴みかかって来そうな程の剣幕で念を押す土方に、疑り深いなぁと大鳥が笑う。
ホントはホントだ。君の笑顔が見られたから。だからもう、いい。
昼寝をしてしまった大鳥だが、眠ってしまう寸前に抱えていた蟠りはさっぱり消え失せ。今はもう今夜もぐっすり寝付けそうなくらい気分が良かった。

「これ飲んだら戻るな」


「は?」

カップを小さく掲げ、にっこり笑んだ大鳥に、珍しいかな、土方の方が固まる。

「なんで」
「部屋にまだやりたい事が残ってるからな。寝てしまってアレだが、少し休むつもりで来ただけだったし」
「正直に言ってみろ」

平然ときり返して珈琲を啜った大鳥だったが土方は厳しく釘を刺す。その声は恐ろしく不機嫌で。大鳥は釘を刺されたどころか白刃を突き付けられたように感じた。逆らうのは後々よろしくない。と、大鳥は知っている

「いやぁ…僕が一番に来たのに、3人と随分と盛り上ってるからさ」

なァんてな。とか、あくまでも冗談めいて子供染みた事を言ってみた。そこには少し、嘘がある。土方を楽しませているのが、夢中にさせているのが、自分じゃない事が、本当は面白くなくて。ただそれを見ているのも、そろそろ限界なのだ。

「また来るよ」

本音を言えば当然ながら、帰りたくないけど、仕方ない。
笑顔の裏で、心の内で大鳥は一息つき

「んじゃ、ご馳走さん」
「オイッ。」

空にしたカップを置き。さて、と立ち上がった大鳥の横で出た土方の声。何事かと窺うようにそっちを見ると…



「お前ら、帰ェれよ」

「…へっ?」
「…えっ?」
「…はっ?」

何でもない事を述べるように言った土方の言葉は、榎本、松平、伊庭に三者三様の反応を取らせた。
そして勿論、一番驚いたのは大鳥だろう。
何せ自分が帰ると言った矢先の、土方のこの行動。

「え?なんで?急に?」
「トシさん松前昆布イヤだったンかぇ?うめぇゼ?」

口々に疑問とよく分からない弁解を述べる伊庭と榎本も、事態を飲み込めていない様子。

「聞こえなかったか?帰ェれと言ったンだ」

にーっこり、見惚れるほどの綺麗な笑顔を浮かべながら土方は、再度同じ言葉を2人に渡す。反論は、許されない。

「お邪魔しました。」

まず席を立ったのは、触らぬ神に祟りなし、松平太郎である。

「行きますよ榎本さん」
「えーっ!タロさんだけ帰ればいーじゃん。まだ土方くんと話が…」
「行きますよ…?」

すべからく空気の読める副総裁に、空気を吸う事しか出来ない総裁は喚いたが、襟首を掴まれ強制退場。次いで立ち上がったは良いが、今更言うに言えない頼みを口元に躊躇わせているのは、伊庭八郎

「…あ、あの、トシさん?オイラ、今日泊めてもらうつもりで…」
「あぁ、じゃあな」

意を決した伊庭の言葉も虚しく土方は別れの言葉でそれを遮った。無論、笑顔でお見送り。
松前からの手土産である昆布を口に含みながら部屋を後にする伊庭の背中に哀愁が漂っていたのは言うまでもない。


「あ、じゃあ…僕も…?」

あっという間に静かになった室内に残された大鳥の疑問がポツリと落ちる。だが、土方は振り返る様子はなく、テーブルに置いてあるカップを取りに行ったその背を大鳥はどぎまぎと見つめていた。

「あ…おかわり飲むか?」
「へっ?…おかわり…?」
「いらねぇんなら…いいけど…よ」

そんな彼らと同じ科白を受けると思っていた大鳥には思いもよらぬその問いに、思わず反応が遅れてしまう。

帰れ、ではなく、おかわり、ということは…?

「…あの…土方くん…?」
「あ?」

自分のカップを持ち、ゆったりとソファーに腰掛け煙草を取り出す土方へ遠慮がちな大鳥の声がかかる。覚えず、期待が多分に含まれている、それ。

「僕は帰らなくても…いいの、かな…?」

コトン、と脇のテーブルに土方が置いたカップからは音もなく湯気が立ち昇る。

大鳥が飲み干した空っぽのカップの隣に並んだ温かな土方のカップ。徐に土方は取り出した煙草を口に宛がえ、静かに一息

「………帰りたかったら…帰っても構わねぇけど」

そしたら何の為にアイツら帰したんだか…。
視線はどこか天井に向いていて、土方の頬が俄に赤いのは、大鳥の気のせいではないはずだ。無論、淹れたてのコーヒーのせいでもない。

「…それって……そういう、こと?」

彼らの為に大鳥が帰るのは、堪らなかったから。


そういう、こと。

「あの…おかわりは、自分で淹れるよ」

言うが早いか、冷えたカップを手に大鳥はテーブル上のポットを取った。残された土方の顔に浮かぶのは、朱色の頬を緩めた柔らかなものだった。



「な…、土方くん…」

戻ってきた大鳥の手には、温かな湯気を揺らしながら香る珈琲。
その香りは2人を瞬く間に包み込んでゆく。

「僕の、自惚れじゃ…ないよな?」

並んで座ったソファーで寄り添い、聞けば、
土方は煙草を指先で外し。大鳥を見て口許を歪ませる

「言わねぇと分からねぇのかよ」


と、目の前で笑った唇が、大鳥のモノと静かに重なってきた。
 

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